チームリーダーのナースに連れて行かれて手術室へ。時間は5時20分。自分で枕を持っていくのがなんだかおまぬけで笑えます。11病棟から手術室までかなり歩きました。階段を下りて、渡り廊下を渡って・・・結構遠いですねと言ったら、「帰りはストレッチャーで帰れるから歩かなくてすむから大丈夫だよ(笑)」と言ってました。確かに。
手術室の前の待合みたいなところでナースと待っていると、前の人が終わったのか、執刀医が出てきて、ディクタフォンに前の人の症状をぶつぶつ録音しながら、うろうろしていた。まあ質問できる雰囲気ではないな。でも前の人の症状が私に丸分かりではないか。かなりひどそうな内膜症と癒着具合だ。
チームリーダーのナースに先生は手術と手術の間に休憩する時間はあるの?ときいてみたら、まあ今日の手術はマイナーな手術だし、処置の時間中は休憩できるしそんなに疲れてはいないから大丈夫よ。今日はあなたで5人目。とまあそんな感じだそうです。今日は午後中ずっとラパロをしてたみたい。でも診るだけのラパロしかしてないからそんなに疲れてないから安心して。ってことでした。
麻酔医の二人がきて、でもダニエルではない人たちにまた質問攻め。アレルギーの有無や、体にボルトが入っているかいないか、入歯があるかないか(口をあけて確認)、などなどいろいろ確認。最後に同意書のサインをまた確認して。そしていよいよ手術室へ。
中に入ると再び名前と生年月日を確認、病院番号も腕輪で確認。確認の嵐で、患者取り違えを防いでいるようです。確認が済むと手術台の上へ自分で乗ります。手術着の後ろの紐を解いてもらって、台の上へ寝ます。持ってきた枕も頭の下へひいて。手術の時間はどれくらい?と聞くと、はっきりとはわからないけど、大体、30分、いや、45分くらいかなー?とまあ空けて診るくらいだからそれくらいなんだろう。そういえば、さっきダニエルが、手術の時間より前後の処置の時間のほうが時間がかかるのよね、と言っていた。
左手をだらりと下げさせられて、べしべし手の甲をたたかれて、カニュラ(点滴を入れるための管)
を刺すために血管を浮かせる。この針を刺すときが一番痛かったくらい。まあたいしたことはないけれど。退院する前に抜いたのだけど、入ってるのはプラスチックのふにゃりとしたやわらかい細い管だったーだから痛くないのだね。前回の時は針だったと思う。動かすたびに痛かったし。医学の進歩?
カニュラが入り、血圧計が右腕に巻かれ、サチュレーションを測る機械が指に挟まれ、さあ準備万端です。酸素マスクを渡され、これをすっていてと言われる。では今から麻酔を入れますねと言われ、カニュラに点滴をセット。
1回目の麻酔がかかった時は、麻酔医の人が今から眠くなりますよ、と言われて、冷たいものが腕に入ってきたと思ったらがっと意識がなくなり暴力的でこわかった。2回目の時は麻酔医が何も言ってくれなくて、いつの間にか麻酔が入っていて、いつの間にか意識がなくなっていて、手術が終わっていたのですごくいやだった。いつの間にか意識がなくなるのって結構恐怖だ。だから今回は麻酔医のダニエルに、麻酔を入れる時に今から入れますよって言ってねとお願いしてあった。でもそういえばダニエルがいない。
あわてて麻酔医にもう麻酔が入ってるの?と聞くとそうだよ、といわれ、何か楽しいことを考えてね。といわれる。何か、楽しいこと・・・?と返事をする前に意識がなくなった。麻酔がゆっくり効いていったようなきがする。ゆっくり効いて行ったので、がっと効いていくより暴力的でなく、優しくて、とてもよかったと思う。
目が覚めたとき、ゲホゲホ咳が出て、ちょっと過呼吸気味だった。息が速くなってしまったけど、心電図は大丈夫みたいだったようで、周りの人が精神的なものだといってるのが遠くで聞こえた。それで、あぁ過呼吸になったんだと思ったくらい。でもだんだんおさまっていって。おなかが痛いのと肩が痛いくらいで、吐き気があまりない。そういえばダニエルが吐き気止め2個入れとくねといっていた。そのおかげかな。結構楽だ。
目が覚めてかなりはじめのほうに言った言葉が「めがねとってください」私極度の近眼なんです。めがねをはめてもなんだかぼやけている。なんだかよく見えないというと、麻酔のせいだよといわれる。そういえば一番初めのラパロの麻酔からさめたとき視界が一時期白黒だったんだった。
10分もすれば段々ピントが合ってきた。壁にかかっている時計が見えてきて時間は7時半ごろ。麻酔からさめると痛いのはのど、肩、お腹。そしてなぜか太ももががくがくする。そして寒い。のどが痛いのは人工呼吸器を入れるからしばらくは痛い。肩はラパロ中おなかにガスを入れてお腹を膨らませて臓器がよく見えるようにするため、そのガスが抜けるのがなぜか肩から抜けるので肩が痛いのだ。お腹はやっぱり器具が入ってごちゃごちゃしたし縫ったあとが痛い。太ももはなぜだろう。麻酔のせい?寒いといったら、ブランケットを余分にかけてくれた。熱を測ってくれたけどまあ大丈夫だったらしい。私が痛いといっても、かなり痛いと血圧がかなり低くなるのらしい、でも私の血圧は標準範囲。きっと私はいつも痛いのできっとそのせいだろうといわれる。でも痛いのなら、モルヒネを打てるけど、モルヒネを打つと今日は泊まってもらう事になるよ。今日、帰るつもりでいる?といわれたので、帰りたいですといったら、パラセティモルを点滴で入れてくれた。
だんだん周りが見えてくる。ふっと隣を見たら、私の前の前にラパロに行った人がいた。酸素ボンベがあったりなんだか大変なことになっている。私より年配の人で、どんな処置があったのか知らないけど、今日ラパロを受けたってことはマイナーな診てもらっただけのラパロだったんだろう。私がラパロ中ずっとそこにいたのかしら?
手術中って、どういう格好をしているのかな。手術着の後ろの紐を解いたので、すっぽんぽん?上半身は診る必要がないから下だけすっぽんぽん?パンツは使い捨てのが脱がされていて大きなパッドがあてられていた(出血するから)ので、下はすっぽんぽん?おへその辺りだけ囲って開けてあるのかしら。その部分は全身麻酔中だけに未知の部分です。
麻酔医が11病棟に電話しているともう閉まるというので、31病棟(婦人科の入院病棟)に行くことになりました。ストレッチャーに乗せられて、かなり長い道のりを運ばれたと思います。病棟に着くとBay1という病室に入れられました。4人部屋で、私のほかに2人の患者さんがいました。
ストレッチャーから病室のベッドにうつるのに、板みたいなのの上にのってスライドさせてベッドに移してもらえるらしくその準備がしてあったけれど、ナースに自分で移動できそう?ときかれたので、やってみるといい、そろりそろりとやってみるとまあ何とか移動できた。上半身を起こした状態のベッドに休ませてもらい、ああ旦那に電話しなきゃ、と思うがかなりだるくて眠い。熱を測ったり、血圧を計ったりされ、この時間ではたぶん今日は泊まりだろうね、とナースにいわれ、え?帰れないんですか?(だってモルヒネ打ったら帰れないから我慢したのに!)帰る予定だったんですけど!といったら、まあしばらく休んで、何かおなかに入れて、トイレに行っておしっこが出るまで待っていたら、夜中になっちゃうからねぇ。泊まっていったほうがいいと思うよ。と言われた。それがショックで、電話の入っている、私のかばんがどこか聞こうと思ったのだけどすっかり忘れてしまった。そしてうつらうつら・・・。
しばらくしたら、ナースが来て、旦那さんから電話がかかってきてるけどと言われ、ああ電話すると伝えてくださいと言ったら、ナースが行ってしまった。しまったかばんがどこか聞くの忘れた。ボーっとする頭で、あちこち見るが見当たらない。ああ眠い。また眠ってしまいそう。ボーっとした頭でいると、どこからか聞きなれたこどもの声がする。
あれ、旦那とこどもがいる。まさか、まだ電話してないし、家からここまでタクシーでも30分はかかるのに。後から聞いたところによると、私が手術前に、今すぐ家に帰ってこどもをむかえにいって家で待機していて、と言ったときに、家に帰って私の携帯の充電器、こどものおもちゃ、夕食になりそうなパンやビスケット、飲み物など、を引っつかんで、こどもをむかえに行き、こどもをつれて、バスで病院に向かったのだそうだ。病院に着いた時点で、7時過ぎ。そこで、こどもに夕食を食べさせ(病院の喫茶店は7時で閉まると確認してあったらしい)、7時45分ごろ11病棟に電話したら、手術が終わり31病棟に行ったといわれ、私が電話すると言ってると言われたらしい。でも私はボーっとしてたし、電話の入ってるかばんがどこかわからなかったし、ちっとも電話がかかってこない。5分たっても電話が来なかったから、31病棟へ自主的に来たんだそうです。
この時点で面会時間の8時を過ぎており、でもこどもは私にあえて少しほっとしたようで、でも興味津々の5歳あちこち見たくてしょうがなくじっとしてない。旦那は私の様子を聞きだし、私が大丈夫そうだとわかると、てきぱきとかばんを捜し当て、携帯を出して充電器につないでくれ、今日のこどもの様子をかいつまんで教えてくれ、名残惜しいけど、こどもは明日学校だし、面会時間はすっかり過ぎているし今日は泊まりみたいだから帰ったほうがいいね、と言う。そうだね、私はボーっとしてるし帰れないなら使い物にならないし(笑)。こどもにぎゅーっと片手でして、「今日はママ遅くなっちゃったから帰れないけど、結構大丈夫だから明日学校から帰ってくるころにはお家に戻っていると思うよ。ダダ(お父さんのこと)のいうことをよく聞いて、おりこうにお家に帰って、いっぱい寝るんだよ。また明日ね。」とお別れをしてこどもも病院の病棟という(めったにこれない)興奮している(?)状況で、「うんわかった、バイバイ」と言うなんともまああっさりとした、寂しいようなほっとするようなお別れでした。
2011年にこの子が生まれてから一度ラパロをしてるので、私が病院でお腹を切ってカメラを入れておなかの中の痛いところを診てもらう、とういうことを体験しており、違う病院ではあったものの病院のベッドのところまでむかえに来てくれたこととか、ママに出された病院食がママが手術後食べれなくて、自分がおなかがすいてたからちょっと食べたことなど(笑)覚えています。私が毎月お腹が痛くてうめいていると、ブランケットをかけてくれたりするのでこういう治療に協力的というか、積極的に寂しいのをがんばってくれます。
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