2014年10月14日火曜日

ラパロ後8週間たちました。

ラパロから8週間たちました。生理も来て、1週間たちました。いつも10日くらいかかってるのでもうすぐ終わると思います。

今回の生理中、多い日は4日目5日目あたりですが、そのあたりはスゴイ貧血症状が出てました。でも今まで何度も血液検査をしてきたけれど、貧血で引っかかったことは一度もないので、貧血ではないと思います。ただ、ネットでいろいろみた結果、生理中だけ貧血っぽくなる人はいるみたいです。マスチゲン(鉄、カルシュウム、ビタミンなどが入っている)を飲んでみたらすこーし楽になりました。でも生理が終わりつつあるのにまだ体がだるい。

生理の多い日が過ぎてから排卵までの何日かが痛みがない日なのに今日はなんだか少しお腹が痛む。生理痛の弱い感じ。薬を飲むほどではないけれど。

前回の生理の出血は塊がたくさん出て、ラパロ後だからかなーと思ってました。今回は固まりは結構出たものの、かたまりのいろが淡い感じの赤で透明感があるというか、いつもより薄い感じがした。もしかしてとうとうホントに貧血?

ラパロではがしたり切ったりした私のおなかの中、そろそろ落ち着いてきてほしい8週間目です。後1週間もすれば排卵だし排卵痛がくるかどうか、そしてその1週間後にくるあの地獄の痛みが(笑)はじまってしまったら、速攻で大学病院の婦人科に連絡して12月の診察の予約を早めてもらい、モルヒネでも何でもよく効く痛みどめを出してもらおうと思います。でないとこわくて仕事にいけません。

2014年10月6日月曜日

ラパロ後7週間

もうそろそろラパロ後2回目の生理が始まりそうです。今日は仕事に行きました。先週の水曜日倒れて救急車で病院経由で病院からタクシーでかえってきたので、車は職場の駐車場に止めたままになってました。なので今日は朝バスにのっていかないといけません。なのに朝から雨ー。寒いー。車通勤に慣れてると、朝の気温の寒さについていけません・・・。今朝は気温が一桁です。

今日はディクロフェナックとコディンを飲みながら仕事をしたのですが、途中1時間ほど会議に出席。もうちょっと長かったらやばかった。寝そう・・・。この眠気は痛み止めのせいか、もうすぐ生理だからか。予定では今日からだけど、またちょっとおくれるのかな-。

明日でラパロからきっかり7週間。あまり進歩が見られません・・・。

2014年10月3日金曜日

10/3 GPへ

腰が痛いのがあまりよくならないのでGPへ。たぶん倒れたときに打ったのだと思うし、24時間ほどたってから痛み出したので骨が折れてるとかではないと思うんだけど、ひょっとしたら効きそうな痛み止めがあるかどうか期待せずに行ってみた(笑)。

いろんなポーズをさせられて、前屈やひねったり後ろ向きになったりもしてみて、その度に痛みが走り「うぅっ」とか言う私。ドクターは背骨をチェックしたり、膝をたたいて反射を見たり。左はすぐぴょんとあがったのに右ひざはがんがんたたかれてもあがらない。なんどもやってみてやっとちょっと反射。なんかビタミン足りない?

やっぱり骨には異常がないようで、でも万が一おしっこが漏れたりしてきた場合は必ずドクターにかかること、コディン入りのパラセティモル(最高量)を出すので、ディクロフェナックと交互に飲むこと。といわれた。まあ打撲だろうから様子見です。


まあGPだし無理だろうかと思ったんだけど、内膜症の痛みのときに効く薬がないのだけど、オーラルモルヒネを出してもらえませんか?救急で打ってもらったモルヒネが今のところ一番よく効いた(まあそりゃそうか)から、次に痛くなったら使いたいといってみた。モルヒネは大学病院で処方されたらまあGPでも追加で出すかもしれないけど、GPからは(初めてのモルヒネは)出せない、といわれた。できたらディクロフェナックも使ってほしくないらしく、しきりにナプロキシンをすすめられる。家にたくさんあるからいいです。ナプロキシンを飲んでて痛すぎて意識なくなるくらい効かないので、ナプロキシンはもういりませんー。ディクロフェナックも単品ではだんだんきかなくなって来て、コディイン入りのパラセティモルを交互に飲んで、やっと我慢できる痛みにまでおさまる感じです。生理が来るまでまだ何日かあるし、また激痛が来る前に何か効く薬がほしかったんだけどなー。

12月のの大学病院の診察までに2回は生理が来るので、また倒れる前に病院に電話して診察を早めてもらうしかないかなー。

2014年10月2日木曜日

腰が痛い

10/2救急車に乗った次の日、やっぱり仕事は休んだ。朝はひょっとしたら行けるかもと思ってたくらい楽になっていた私ですが、やっぱりまだ痛み止めが効いてたからなのか。婦人科にうつされて家に帰る前に12時間効くというディクロフェナックの座薬を入れてもらった。その前にモルヒネもパラセティモル点滴もしてるし、帰るころにはお腹の痛みはほとんどなかった。全くなかったといえないところが悲しいかな。痛み止めの副作用で頭が少しふわっとしてたし、体がだるかった。そのおかげか家に帰ってこどもと一緒に朝までぐっすり。

朝もしかしたら仕事行けるかもーと軽口たいてた私にちゃんと寝てるようにといって仕事に行った旦那に、午前中に、腰が痛くて割れそうで歩けないーと報告。朝旦那がこどもを学校に送って行ってくれてから、私はシャワーを浴びた。それまではまあよかったのに、その後腰が痛くてしょうがない。腰というか背骨や股関節、骨盤のあたり全体が痛い。

後で思いついたのは、昨日意識がなくなって椅子から床に落ちたとき、腰を打ったんだろうなー。いつも生理とかで腰が痛くなるのは右側なのに、今回は左側が主に痛い。左側が痛くなったことってほとんどないのに。と、仕事から帰ってきた旦那に言ったら、まあそれが正解だろうねー左側に落ちたから。といっていた。

私の昨日の記憶は薄ぼんやりしていて、ああそう言えばそうかも。わたしの右側は本棚があるから、右側には倒れないだろうな。だから左が痛いのかー。

ディクロフェナックを朝から飲んでるけどチットモよくならない。ディクロフェナックは抗消炎薬だから、コディンとかの方がいいかと思ってコディイン入りの痛み止めも飲んでみたけどほとんど効き目無し。

昨日に続き役に立たない私でした・・・。

2014年10月1日水曜日

ラパロ後7週間目

10/1仕事中お腹が激痛で自分のデスクで休んでました。そのときはオフィスに2人だけで、もう一人の人は電話中だったので、まあ座ってれば治るかな、とおなかを押さえて我慢中。その人も私のおなかイタ歴を知っているので電話が終わってから、隣に来て、痛いの?大丈夫?と聞いてきてくれました。その頃には痛みがピークに達していて返事はできず。うなづいたりはしてたと思います。その後は後から聞いた話なのですが・・・。

10時ごろに私はおなかが痛くなってデスクに座る。オフィスにいたもう一人のスタッフがわたしのよこにすわってたのは10分くらい。その後私の痛みがひいてきたらしく(うずくまっていた私が少しまっすぐに椅子に座ったから)、その人も自分のデスクに。そしてその数分後私は意識をなくし椅子から床に落ちて倒れる。意識は結構すぐ戻ったらしいけど、あまりの痛さに意識朦朧で受け答えできず。倒れた時点で同じ職場だけれどバスで10分ほど離れた建物にいるだんなに連絡、そして救急車を呼ぶ。

私が覚えているのは、隣に座っててくれて、チョット痛みがひいたかなと思ったらまた激痛が戻ってきて、絶望感に浸ってた。次に覚えてるのは救急隊の人がいたところから。ところどころ記憶がないって、いやな感じだ。救急隊の人が来たあたりで痛みがひき始めた。

救急隊の人は私に熱があること、血圧が低いこと、まだ痛みがあることなどから、救急に連れて行くことにした。しばらくすると痛みは6割くらいになり、両脇をがっつりもってもらって自分で立ち上がり、エレベーターまでいけた。建物の入り口で車椅子に乗り、救急車へ。救急車の中でガス&エアー(笑気ガス)を吸い、眠気が襲ってきて、痛いものの、もうどうでもいいから家に帰して~お布団で眠りたい~欲求に駆られる(笑)。救急につくとかなり待った後血液検査や痛み止めを入れるため、カニュラ(点滴の管を入れるライン)を入れられる。その後またさらにだいぶ待って、ドクターが来る。私の病歴を主に旦那から聞き、癒着の痛みはペインコントロールがかなり大事ですよと言われる。でもGPは効かない痛み止めしかくれないし。そのドクターは1泊入院してもらうと言っていた。癒着の痛みはお腹を空っぽにしてから、何かおなかに入れるといいといい、病院なら、痛みをコントロールできるし、入院しようと言っていた。尿検査もした。

その後またさらに待って、ナースがモルヒネを入れてくれ、その後パラセティモル(アセトアミノフェン)の点滴。モルヒネはチョットづつ入れて、痛みはどれくらい?と聞いてくれるのだけど、入れはじめのとき、急激な眠気と喉がぎゅううっとされる感じがあって、返事がしづらかった。2回くらい入れて痛みが引いていったのと眠気がすごくていたくてもうどうでもいいや感が買ってしまい、そこでストップ。旦那は入院準備とこどもをむかえに行くので帰宅。

私は婦人科病棟にうつされる。そこでもかなり長いことほっておかれ、香港出身のスチューデントドクターが来て、山のような質問をされる。何のデータなのか、こどもは計画的に作った子かという項目もあった!そしてまた待って、ドクターが来てお腹を触診。特に硬いところもないし、血液検査等の結果もまあまあ。炎症値が少し高めだったらしいけど、まあ手術後ということを考えたらドクターを納得させるだけの結果だったらしい。ということで、家に帰りたかったら帰ってもいいということになりました。そういわれたらもちろん家に帰ると即答。

まあ、意識がなくなったのが家で旦那がいただけなら、きっと救急車は呼ばなかったと思う。今までも数回痛みで意識がなくなったことがあったけど、かならず目が覚めたし(笑)。職場だったのでみんな心配して救急車を呼んでくれたのかな。まあ私も去年まではファーストエイダーだったので誰かの意識がなくなったら救急車呼ぶなぁ。

それにしてもラパロでいろいろとったりはがしたりしたのになぜ意識がなくなるまで痛くなるのか。

婦人科病棟にうつされたときに診てくれたドクターが、私の治療歴の記録を見て、いろいろやって、手術もしたのにまだここまで痛いとなると、次は子宮卵巣全摘しか残ってないけれど、年齢的にも(まあもう妊娠もしないだろうし、する予定もないなら)、考えてみたらどうかといわれた。

まあ妊娠はできないだろうし、たとえ万が一したとしても出産までいったとしてもこの痛みとともに2人も育てられないだろう。ひとりこどもを授かれたのは、ありがたいことだ。かといって用はないからって全摘というのは、卵巣の働きを止めるGnRH注射をしたときに、恐ろしい副作用があった私は、全摘を考えることはまだできそうにないなー。

それにしても痛みが絶好調のときにモルヒネをしてもらったら痛みがスーッと引いて楽だろうな・・・と思う私はすでにやばいのかしら。