2013年10月29日火曜日

生理周期が短くなってきた

2012年の11月から2013年の4月ごろまで途中お休みはあったもののミニピルを使っていた。不正出血続きで、毎日の出血に耐えられなくなり、その上かんじんの痛みにはほとんど効かなかったため、ピルはやめることになった。

その後あたりから、それまで生理周期が31日前後だったのが、28日にになった。短くなって、痛みがくるのが早くなった感じでいやだったけど、気づいたら、生理前痛かった期間も短くなった。

私はピル前は、片頭痛とともにくる生理の出血が10日ぐらいだらだらと続き、終わったと思ったら、次の週には片頭痛&排卵痛があり、それが終わったと思ったら、生理の10日前くらいから、右下腹に強烈な痛みが来ていたのです。

ピルをつかってやめてから、まあ順番は変わらないものの、(時々片頭痛がなくても生理がくる!予防薬のおかげか)生理が7日か8日くらいになり、胸と背中が痛くなり息も上がり(歯も痛くなり)、片頭痛&排卵痛は相変わらずあるけど、生理の1週間くらい前から、右下腹(&時々左下腹のときもある)の痛みがきて、息切れがし始めると次の生理がきます。

右下腹の痛みは痛み止めとTENsマシーンでコントロールしていますが、時々コントロールが効かないくらいつらい痛みが出るし、最近は左側も痛い(ラパロで癒着が見られた)ので、病状は着々と進んでいるような感じがします。

この生理周期が短くなった点について、私にとってよいのか悪いのか。

生理周期が31日前後だった頃、生理は年にまあ約12回。月一ですね。痛みは月に10日、年間で120日(うわ、年間にしたくない数字だ)、生理は月に10日、年間で120日。

生理周期が28日になったこの頃、生理は年に13回。痛みは月に7日として、年間84日、生理は年間84日。

痛みは頻繁に来る気がするけど、そして痛みのグレードは上がっているし痛い個所も広がっているけれど、痛い日々はトータルにすると減っているのだね。

この生理周期が短くなった理由として、ピルのせいなのかはわからないけど、ピルを飲んでいたときに毎日出血して、ずっとナプキンをつけ続けていて、ひりひりしてきて、ナプキンの上に布を当ててナンちゃって布ナプキンにしてしのいでいたのでした。やっぱり布ナプキンのほうが、体にいいことを自分で証明したのかな。

だからといって、即行で布ナプキンに替えるには、最近パートタイムになって経済的に苦しいです。やっぱりもうしばらくはナンちゃって布ナプキンにして、いま家をかたづけ&断捨離中なので、ヒトダンラクしたら、お手製の布ナプキンを作ろうかなぁ。

まあ片付け&断捨離もお腹の具合と体調と相談しながらなのでなかなか進みませんが。でも今日は生理も終わって、楽になってきて、書類をだいぶ捨てて(というかシュレッダー決定箱に入れて)、ファイルをひとつ空けました! 10年も前の明細とかまだとってあった。フルタイムで共働きだった頃はファイルするのも年に何回かで、捨てる暇なくファイルし続けていた。そんな激務な二人じゃないのだけど、二人とも疲れやすい体で、時間があったら休みたい人たちなのです。

私がパートタイムになって、ちょっぴりできた時間で、ちょこちょこだんながやってくれていた家事を私がやって、旦那も少し家事がパートタイムになったと喜んでいました。私もそのほうが、旦那にほかのことをやってもらえる(と思うので)、パートタイムになって収入は減ったものの、二人のストレスは少しへるんじゃないかな。

そうしたら、私の体調も少しはよくなるのではないかな~? 内膜症に、痛みに、ストレスは禁物ですよね!

2013年10月27日日曜日

生理になると・・・歯茎からも血が出ませんか?

生理になるとりんごを食べなくても(笑)歯茎が痛くなります。まだそんなに血が出たことはないのですが。でたと言っても生理中歯みがきのときに少しでたくらいです。

時々痛くなって、いつの間にかなおっていっていたので、まさか生理と関連しているとは思っていませんでしたが、ここ何ヶ月か気をつけていたらまさに生理中だけ、痛む歯と歯茎がありました。

私の場合は左の下の歯茎と左上の奥歯(親知らずかなぁ?)が痛くなります。今のところ、硬いものをかむと痛くなるだけで、虫歯のように常時痛いわけではありません。生理の重い日が始まるころに痛くなり、出血が終わる頃には痛みもひいていきます。生理が終わる頃には痛かったことも忘れてしまいます。

以前GPから生理のたびに目が赤くなる患者さんがいたんだよ、目に内膜症があったみたい。閉経したらぴたっと止まったしね。と言っていたけど、まあ口の中に内膜症があるとは思わないけどまさかね。

イギリスの内膜症フォーラムでも生理中に歯茎が痛い人や親知らずが痛い人が結構いて、盛り上がって(笑)、(こっちでもまさかねーというのりでした)、ある人が、内膜症と生理中は免疫力が落ちて、あちこち不調がでるのであながち口の中の不調も関連がなきにしもあらずではないかといっていました。

本当に悪い歯があるから、免疫の落ちる生理中だけ痛むのか、生理中だけ内膜症関連で歯が痛むのか、どっちかなぁ。

でも歯医者に行くと、「では親知らず、抜いてしまいましょう」といわれそうで、こわくて相談できないのでした。だって、麻酔かけるでしょう。2011年に、差し歯が折れて、治療に行ったとき、麻酔して治療したあと待合室で意識がなくなって病院送りになった事があって、歯医者での麻酔治療にはちょっと慎重になってしまいます・・・。

旦那は次の歯の検診には言う様にいわれてるんだけど・・・。そしてそれはきっと12月ごろじゃないかなぁ・・・。

2013年10月23日水曜日

やっぱり胸も痛む

ここ何ヶ月か、生理になると胸も背中も痛く息が上がる。ひょっとしたら精神的なものかと思って、昨日生理になりかかっていたけど(ホンノ少しの出血があったけど)、友達のところに行く約束をしていたから、私の体調のことも知ってる友達だし、こどももそこの子と遊ぶのを楽しみにしてるし、久しぶりに日本語でたっぷり話したかったし、ストレス解消気分転換になってよいかと思って行ってきました。午前中は仕事だったので午後から。

楽しくおしゃべりをして、ちょっと早い夕ご飯を食べて、そろそろ帰るころになって、だんだん胸が苦しくなってきた。疲れてきたのかな。もう少しだからがんばれ。6時半おいとましてに旦那をむかえに行って帰るのでそれまではがんばってました。といっても座ってしゃべってるだけだったんだけど。どうしてもだるくなったら、だるいと素直に言える間柄だったので、まあ駄目そうなら言おうと思ったけど、そこまではだるくはならなかったので、なんとかなりました。

旦那をむかえにいいって、家に帰って、ほっとしたのか、2階に行って、着替えようかと思ったとたん体が重くなって、電気もつけず、床に座り込んで立ち上がれなくなりました。胸も苦しいし、息も上がっている。できたら横になりたいんだけどそれもなんだか面倒。座り込んだままボーっとしていたら、電気をつけてなかったので、その部屋にはいないと思われて、狭い家なのに、あちこち探されました(笑)。ここだよーと声を出すエネルギーもなく、こどもがここじゃないのー?と、がっとドアを開けてくれて、かーちゃん発見。横にならせてもらって、しばし休憩。

旦那はその間こどもをお風呂に入れてくれました。すみません、友達と遊んでいたのに、帰ってきて、こどもの面倒も見てもらい、お風呂も入れてもらって、私の面倒もみてもらって。ああ、さらに胸が痛みますぅー。ああ、この体、どうにか立ち直らせたい。

ラパロの全身麻酔の疲れがとれていないのかなー。たまに視界がぱっと暗くなるときがある。あれ、一瞬、停電?と思ったり、電球が瞬きした?と思って、旦那に今暗くなった?ってきいてもなっていないっていうし、私だけ暗くなったようです。そんなのが、ラパロ後3回くらいありました。どれも一瞬。1秒くらいかな。疲れなら時間がたてば元に戻るだろう。

今回の生理痛は、結構痛かった。と言うのも生理前の痛みが結構あって、ロキソニンとブスコパンと処方されたコーコーダモールをちゃんぽんにして飲んでいたので、胃薬を飲んでいても胃がかなり荒れて、生理が来るころに生理痛のために薬が飲めなかったので、かなり痛みがダイレクトに来ました(泣)。私の生理痛、痛み止めをほとんどのまないと、かなりやばい痛みまで来ています。パラセティモルとコディンがホンノちょっぴり入った市販のコーコダモールを2錠飲んだら、胃が荒れていたようで吐きそうになったので、それだけしか飲めませんでした。

やっぱり生理で子宮内膜症が胸のほうまで来ているのか、出血が進むと胸が痛くなりました。今日はまだ多い日ではないのでそれほどではないけれど、明日かあさってくらい多い日が来そうです。今月胸があんまり痛くならないといいなーと思っていたんだけど。

胸が痛くなるのは月によって、痛みに波があります。すごく痛い月とまあ我慢できる月と。次にすごく痛くなったらGPに行ってみようと思っているのだけど。前回すごく痛くなった時は痛くて仕事を休むほどだったのに、つらすぎてGPにいかなかったのです・・・。確か7月だったような。がんばって行っとけばよかった。8月の生理は日本でだったけど、まあそんなに胸は痛くならなかった。やっぱり仕事してなくてストレスがなかったからかな(笑)。生理前の痛みもいつもよりすこーし楽だったし。9月は息が苦しくて、胸も痛かったけど、遅番の日だったから、がんばって仕事にいったんだった。

つらい月と楽な月と交互に来てるから今月は楽な月かなーと予想してるんですが(笑)。今週は
ハーフタームホリデーといってイギリスの学校はお休みなんです。なのでこどもと過ごす時間もできるし金曜日は旦那が有給を取れたので、3人とも休みなので、どこかに行けたらいいねーと言ってたのに、私の生理にぶち当たってしまったので、当日にならないとどうなるかわからないんです・・・。

この病気ちっとも予定が立てられなくて、約束もできなくて、もししてしまって痛い日に当たってしまうとドタキャンしなくてはならなくなったり、痛いのに無理して決行と言うことになったり、つらいものがあります。抜けられない仕事や遅番の日や、こどもの学校行事とかは動かせないから、痛くても行かなくては行けないもの薬を飲みまくっていかなくてはいけません。こんなの、いつまで続くのかなー。

2013年10月21日月曜日

10/21術後13日目抜糸

取れました。ナースの予約。まあ何とか。午後4時だったので、こどもを連れて行かないといけなかったのですが。こどもは自分が患者でなければ病院大好きなので喜んでついて来ました。

ナースがこどもが怖がるかと思って一応カーテンを閉めたのですが、興味しんしんでのぞいていました。ナースの体で隠れて見えてたかどうかはわかりません。私は痛くて目をつぶっていたから! 体内の糸はとけていたのに抜糸したのでその部分を体から引っこ抜くことになって、すごく痛かった! おへそのところは3針、ビキニラインのところは2針。ビキニラインのところは縫い目に沿ってへこんで血が出てきてました。おへそのとこも血がじんわり。せっかくなおってきたのにまたずきずき痛んできました(泣)。

何がとける糸だー。こんな痛い思いするなら、最初からとけない糸で縫って、普通に抜糸してくれればいいのに。次はとけない糸でしてって頼んでもいいとおもう?ってナースにきいいたら、うーん、聞くだけ聞いてみたら?と。聞くだけ聞いてみるよ!

ナースに本当は自分で糸切ってみようかなって思っていたの。っていって見ました。そしたらうーん、たぶん切れると思うけど・・・と語尾を濁していました。私はこれは切ってもいいけどナースの立場としてはOKとはいえないわと言っているのだと思ったね。それともこっちの人はそんな立場なんて考えないかな。うーん、やっぱりわからん。

次はやっぱり執刀医にとけない糸でやってもらえるか聞いてみたいです。まあいろいろ聞くことがありすぎて、縫い糸についてなんて聞くこと覚えているかどうかわかんないけど・・・。でも抜糸しないといけないならとける糸で縫う意味がない。


抜糸後、傷口は血がにじんでちょっぴり痛みが戻ってきたけれど、つれる痛みがなくなってかなり楽チンになりました。家に帰って、こどもは外で遊んでいたので、久しぶりにご飯を炊いて、味噌汁を作り、野菜たっぷりのヘルシー夕ご飯を作りました。旦那も早めに帰ってきて、さあ夕ご飯、ご飯の前にちょっとトイレにいってと言うまさにそのとき、私はおなかイタに襲われ、2階のトイレの前で倒れました。ちっとも降りてこないのでこどもが心配したのか、2階に上がってきて、倒れたかーちゃん発見。旦那を呼びに行き、せっかくのご飯時があわただしいことになってしまいました。私は大丈夫だから、ひとりにしてほっといてくれれば大丈夫だから、と言ったのだけど、こどもがブランケットをかけてくれました。まあ15分くらいで痛みはひいていき、たぶん生理痛かな。2日くらい前に下血があったし。あれ、下血だよなー。今日ちょっと出血してたし。

とける糸とけてない・・・。おなかも痛い

ラパロ後順調に回復しているようで、感染の様子はまったくなく、傷口の痛みはほとんどないのですが、とける糸で縫った、縫い糸がちっともとけて来ません。

プリアセスメントで、術後7日くらいでとける、10日たってもとけなかったらGPのナースに抜糸してもらってといわれていた。術後11日目にして結び目が取れる気配がまったくない。体内の部分はとけているかもって感じだけど、結び目がガッツリ残っていて、きつく縛ってあって、笑ったり体をひねったりくしゃみをしたりするとまだ痛む。

もしかして、とける糸がとけにくい体質なのかしら、そんな体質があるのか?とか思いつつ、イギリスの子宮内膜症フォーラムで聞いてみた。あなたのとける糸はどれくらいでとけましたか?と。そしたらみなさん、とけないから抜糸してもらったとか、自分で(消毒したはさみとピンセットを使って)切ったとか、旦那に切ってもらったとか、3ヶ月くらいほったらかしにしたらやっととけたとか、「7日でとけた」ひとは一人もいなかった!

それにしても自分で切った、ってすごいな。まあ結び目のところからなら切れそうだけど。と思いながら自分の縫い目を凝視(笑)。うーん、できそうだけど、できたら自分でやりたくない。旦那に切ってもらった、って言う人もいるけど、って旦那に聞いてみたら、「はっ?あしたナースの予約を取って!」とソッコーでいわれた。そういわれると無理には頼めない。無理に頼んで了解してもこわいかも。

ナースの予約、取れない時はなかなか取れないからなー。旦那がナースの予約を取ろうとしたら、9日後の予約しか取れないときがあって、躊躇しているのです。明日の朝電話して、予約が取れなかったら、自分でやろう。

ここんとこおなかも痛い。薬も飲みすぎて胃も痛い。胃薬も飲んでいるけど。ラパロはちょうど生理が終わって一段落した私の唯一の痛みのない週に行われた。つまりラパロの術後の痛みがひいていったころ、私のメイン(?)のおなかイタがはじまったのである。今月はなんだか休みナシって感じです(泣)。

術後7日目仕事復帰

仕事復帰1日目。無事に車通勤(3,40分)もできたし、いつもは階段であがるところもエレベーターを使ってみました。仕事はデスクワークと歩き回る仕事半々ですが、今日はデスクワーク中心にさせてもらいました。と言うかデスクワークがたまっていてそれをまず片付けていたのですが。歩き回る仕事も少ししました。同僚もサポートしてくれて、仕事にもスムーズに戻れそうです。笑わしてくれるので、まだとけてない縫い糸がつれて痛い・・・っていってるのに、わらわかそうとする・・・そういう楽しい職場です。今日の勤務は8時半から1時まで。

家に帰って、昼ごはんを適当に食べて、こどものおむかえの時間の3時までぐーたらにすごしました。こどもがかえってきてからも、おやつを食べさせて、外はあんまり天気がよくないので、テレビを見ていたこどもの横で再びぐーたら。今日はゆるしてー。夕方になって、天気がよくなってきて、近所の子と遊びたがったので、外に遊びに行ってからは、完全にぐーたらしてました。ただ、外に行くと、家に入るのに玄関のドアを開けてあげないとオートロックなので、いちいち立たないといけないのがつらい・・・。いつもは勝手口と横の門を開けておくと勝手口から自分で入ってくるんだけど、今日はその気力がなかった。でも門と勝手口を一度開けておいたら、もっと楽だったんだけどねー。

旦那が早く帰ってきて、夕ご飯を作ってくれました。ラッキー。

術後6日目月曜日

明日から仕事復帰。午前中シャワーを浴びて、ちょっと出かけようと思っていたのだけど、だんなのお母さんがちょっと来るとのこと。待っていたら、お見舞いのお花とイチゴを持ってきてくれました。お花、ピンクだけど菊の花ー、それも鉢植えー(笑)。旦那にはむかーし、菊の花はちょっとー(葬式の花を連想する)と教えたんだけど、こっちでは菊はクリサンサマムといって最後が「マム(お母さん)」で終わるからか母の日とかによく贈られる、結構贈り物にメジャーな花です。でも日本人で、病人に菊の鉢植えをもらったのは私くらいだろう! ピンクでかわいい花でしたよ。

お昼ご飯を食べてから、ちょっと隣村までいって、銀行やら郵便局やら行ってきました。一人で車を運転して、無事に帰ってこれました。明日から仕事だし、ちょっと自信をつけたかったの。

まあ痛みもだいぶひいたし。肩の痛みもいつの間にかなくなったし。どうにか仕事には戻れそう。当分の間帰ったら使い物にならないかもしれないけど。

術後5日開通(笑)

昨日の夜もうちょっとチョコレートを食べておいたせいか、今朝、決着がつきました! ただちょっとつらかったので、切れました(泣)。切れると次がこわいですね。すいませんこんな話で。

これを踏まえて、次のラパロ等の手術の時など、コディンを使う時はもう少し動いたり、チョコレートやプーアールティーの導入を早めにしようと思います。次ぎ、あるんだろうなーやっぱり。

あるならあるで、覚悟を決めて、準備をしておけばいいんだよね。心の準備も環境の準備も。妊婦のときにはいていたお腹周りの大きいレギンズも捨てようと思っていたんだけど、冬におなかが暖かいからとっておいたら、まさかラパロ後にこんなに役に立つと思わなかったので、術後専用にとっておくことにしよう。病院に持っていくかばんはひとつ専用のを決めて(何か病院の匂いというか気が染み付くような気がして)おこう。もう捨ててもいいかもでもまあ見た目OKと思うパジャヤマも病院専用にとっておこう。とりあえず次は有りそうだし。

内膜症がある人って結構頻繁にラパロしてる人がいるみたい。私もそうでないといいけど、準備をしておけば必要なくなるような気がして。イギリスでは子宮内膜症の団体がオンラインフォーラムをしていて、そこに参加してみた。私は毎月痛みでつぶれそうになっていたけど、そのフォーラムには私よりつらそうな人がわんさかいて、ラパロ3回もしてもううんざりと思っていたけど、もう10代の頃から何回も何回もラパロを受けてる人がいて、すでに10回を越えてる人がいることがわかった。内膜症ってやっぱりなおらないんだなぁと思った。どうにかうまく付き合っていかないと、閉経までやっぱり後10年くらいはあるから、私もまだまだラパロを受けることがあるんじゃないかな。・・・と思っていれば、受けないような気がすると思っている私がいる・・・。めんどくさい私なのである。

さて今日は、火曜日から仕事に復帰(車通勤)なので、車の運転をしてみようと(旦那は運転しません)、家から20分くらいのところにあるショッピングセンターに行くことにしました。日曜日の朝はすいてるのでまあ大丈夫だろう。旦那の靴が駄目になったし、これから雨がよく降るのにこどもの長靴に穴が開きそうだし、よく面倒を見てもらった御礼に靴と長靴をプレゼントしカフェでおやつでも食べようと御礼をしたくて行くことにしました。

無事に着き靴も長靴も無事に買え、カフェでおやつを食べ、ちょっと買い物をして帰り道。疲れたのかちょっと危険なところが2箇所。慣れた道なのに違う車線にいる! と言うのが一回。やっぱり疲れてる。家に帰って、昼ごはんは旦那まかせでした。無事に帰れてよかった。

術後4日目土曜日初外出

術後4日目ですが、まだお通じがありません。コディインを飲むと便秘になりますが、やっぱり便秘になったようです(泣)。便秘、日本ではよくなっていて、1週間でないなんてざらでしたが、イギリスでは快便。水(硬水の地方です)が快便にしているのではないのかなーと思うんですが。

便秘になった場合、1、チョコレートを食べる。それもかなりたくさん。板チョコ1枚くらいぺろりと。たぶん私チョコレートがあわない体質なんじゃないかなー、チョコレートをたくさん食べると必ずでます(笑)。2、プーアールティーもしくはウーロン茶を飲む。何杯か。まあここまでしなくてもチョコレートでOKなんですが。イギリスにいても便秘中だった妊娠中はプーアールティーをよく飲んでました。チョコよりヘルシーかと思って。

ちょうどもらい物の板チョコ(ダーク)が家にあったので、ここぞとばかりに食べました。でもチョコレート、片頭痛のトリガーなんですよねー。でもチョコレート大好き。それも大好きなダークチョコ。片頭痛になってもこわいのでちょっとずつ食べました。まず1/4くらい。

でもまだのようです。でもおなかがぐるぐる言い出したのでもうすぐ・・・。

今日は土曜日で旦那もこどもも休みなので、外出してみることに。最初は車で買い物に行こうかと思っていたんだけど、やっぱりそこまでの元気はなく、お昼ご飯の後、近所を散歩。30分くらいの予定でしたが、休み休みいったのでトータルでは45分くらい外にいたかな。うちの近所には自然の川と運河があって、運河にはナローボートが通るのでナローボートが運河を登ったり降りたりする用のロックがあります。そこをロックを開けたり閉めたりしてボートが通っていたのでこどもが釘付けになっていて(笑)、そこでしばし立ち止まっていました。

まあ散歩を休憩というか中断して楽だったかな、それともずっと立っていないといけなかったので、つらかったのか自分でもわからないくらいだったのですが、家に帰ってきたら、昼寝しない(と言うか体調が悪くないと昼間は寝れない)体質なのに、ソファーでいつの間にか意識を失うように昼寝(笑)。ぐったりだったようです。体力回復してなーい。やっぱりだらだらの毎日がいけなかったか・・・。

このあたりから、傷跡のなかのあたりが時々ちくちく痛みます。これは傷がなおろうとしている痛みだと思います。まあ時々だしたいした痛みじゃないし我慢できるくらいなので、もう痛み止めも飲んでいません。

術後2日目

旦那は仕事に戻るしこどもは学校だしで、私は日中一人。まあ傷口の痛みは痛み止めで何とかなってるし、ガスの抜ける肩の痛みはなるべく動かなければまあ何とか我慢できる。ときどきううっってなってるけど。

ネットで日本のテレビを見たり、本を読んだりしながらだらだらと一日をソファーの上で過ごす。昼ごはんは冷凍ご飯を温めて、つくり置きのおかずを温めて簡単に食べる。一人でも楽チン(笑)。

あんまり動かないので食欲もあんまりない。まあ術後2日目なんてそんなもんかなー。日本だとまだ入院中だよね。前回は感染していたから、2日目あたりに結構熱が出てだるかったけど、今回は大丈夫そう。微熱っぽいけど、高熱って感じではない。傷口の当たりも前回のように熱を持っていたりしていないし硬くない。脂肪で柔らかーい(泣)。順調に回復しているようです。

2013年10月14日月曜日

ラパロ術後1日目

退院して、家に帰ったら12時前。今日からシャワーを浴びてもいいといわれてたので、こどもが帰ってくる3時までにはシャワーを浴びていたいなと思ってました。病院からもらった痛み止めの薬はコーコダモル。パラセティモルにコディインが入っているものです。病院ではパラセティモルだったのに家ではそれよりちょっときついやつを飲むの?まあいいや。でもコディインって便秘がちになるんだよねー。このコディンとナプロキセンもしくはイブプロフェン(自前)を飲むよういわれました。

昼ごはんは旦那が温めるだけの(笑)を作ってくれたし、まったりとした後、シャワーを浴び、私が出たのを確認してから、こどもをむかえに行ってくれた。学校は3時に終わるので、家から2分のところにあるので、まあ3時前にでれば間に合います。

シャワーで体を洗うとなんだか体についてた病院の空気が洗い流されたようで気分がよくなった。ついでにヨーチン色だったお腹も気をつけながらごしごし洗ったら、黄色いお湯が流れていった(笑)。シャワーをしたときに大きな絆創膏をとり傷口をお湯で洗いました。前回より傷口が大きい感じ。でべそっぽい。まだ腫れてるんだな。下の縫い目もナマナマしー。とける糸で縫ってあるそうなので抜糸はなく10日くらいでとけるそう。10日たっても縫い目が残っていたらGPへ行ってとってもらいなさいといっていた。私としてはとけない糸で縫ってもらって1週間後に抜糸をしてすっきりしたいんだけどな。とけるの時間がかかるよ。10日じゃとけない様な気がするんだけどなー。体質にもよるのかしら。絆創膏はシャワーをしたらもうはずしてしまっていいといっていたので、はずして下着をつける。おへその傷に当たらないようにデカパンを用意。なんだか心もとない・・・。

着替えもゆっくりして、下の階にゆっくり降りてきた頃にこどもと旦那が到着。前回ラパロの時は術後感染してしまったのでかなりつらかったのだけど、今回の楽なこと。でも肩がいたーい。お腹もまだガスで膨らんでる感じです。

しばらくソファーに座っていたけど、立ち上がったり歩いたりすると、おへそのとこの縫いめの糸が下着に引っかかって痛い。やっぱり絆創膏を貼ってこよう。家にあった大きい絆創膏を貼る。下のほうの縫い目はなんともないのでそのまま。

縫って結び目の切ってあるところが結構長く残してあって、それが邪魔っぽいんだよねー。

まだまだお腹の痛みと肩の痛みは取れそうにありません。

2013年10月13日日曜日

10/8ラパロ後病棟で―ラパロの診断

手術室ではかなり痛かったものの、パラセティモルの点滴が効いてきたのか、旦那とこどもが帰ってからしばらくして一眠りするとおなかの痛みはだいぶ我慢できるくらいになりました。がまんできないのは肩の痛み。動くとウギャーと痛い。目が覚めたのは隣のベッドの人のアラームがなり始めたから。どうやら点滴の管が外れてアラームがなりはじめたようです。ナースが来て処置をしていったのですが、目が覚めてしまいました。夜10時ごろです。水を飲んでトイレに行かなくてはと思い、水をがんばって飲むのですが、なかなかトイレに行きたい感じがしません。

肩が痛くて、しょうがないので、ナースに痛み止めをもらうとアレルギーがいろいろあってきつい痛み止めの飲めない私はパラセティモルとイブプロフェンくらいしか飲めません。イブプロフェンは空っぽの胃では飲めないので、何か食べないといけないよと言われ、何か食べれる?と言われ、あんまり食べたくないけど、痛み止めのためなら食べてみると言うと、じゃあスチューデントナースにキッチンに行って何があるか見てきてもらうわねと言って行ってしまった。スチューデントナースがトーストなら食べれる?と聞くので食べると言うと持ってきてくれました。この人スチューデントだったのか。ほかの人とユニフォームが違ったから、偉い人なのかと思ってた(笑)。ほかのナースよりかっこいいユニフォームだったからさ。

トーストを食べたら、5分位したらイブプロフェンを飲んでねと言ってカッコいいユニフォームのスチューデントナースは去っていきました。トースト、薄っぺらいイギリスのトーストを2枚食べるのに30分はかかり(肩も痛くて腕があげにくいし、食べるのって体力使うね)、この5分待つ間にトイレに行ってみようかなーと思い、ナースにトイレに行ってみようと思うんだけどと相談(笑)術後最初にトイレに行く時はナースコールを押せと言われていた。ベッドサイドテーブルにイブプロフェンが残っているのを見て、薬をテーブルに置きっぱなしにしないでほしいの(ほかの人が飲んだりして事故が起こってはいけないかららしい)と言われ、結局トイレに行く前に飲んだ。

すっかり忘れていたけど、私のおまたにはでっかいナプキンが挟まっているだけであったのです。ナースが、新しい紙パンツと普通サイズの(それでもでかい)ナプキンをくれました。トイレまではそのでかいナプキンをまたに挟んだまま落とさないように歩かないといけません(笑)。落とさないでいけるかしら?とかそんなことをナースに言ってしまった私、やっぱりぼけてんね。ナースも笑って大丈夫よとかいってたけど返答に詰まっただろうね。ナースについてきてもらってトイレに行って大正解。かなりふらついてて、一人だったらかなり危険だったと思う。私の部屋はBay1だったんだけど、トイレはBay1,Bay2の部屋の隣にある。たったそれだけなのに手術後ってこんなに歩けない。ヘロヘロのボーっって感じで、ナースに支えてもらって、トイレに到着。終わったらコールを押してね、絶対だよ。と念を押される。行動がちくいちスロー。お腹を見ると大きな絆創膏がおへそとその下に2枚。このあたりを切ったんだな。そしてお腹から太ももの上辺りまでヨーチン色になっている(笑)。何とかトイレを終えてナースコール。

帰りは行きより自分で歩けたかな。廊下の手すりも使って。お腹も1,2回目のラパロのときよりだいぶ楽な気がするし、肩さえ痛くなければいいのになーとおもいつつ、ベッドに戻る。トイレに行って動いたから、肩の痛み倍増(泣)。

隣のベッドの人の具合がどんどん悪くなっているようで、急変を知らせるアラームやらエラーのアラームがなりっぱなし。向かいのベッドの人はかなり痛みがあるようでしょっちゅう痛み止めを飲んでいるみたいだけど、まだ手術とかはしてないみたいで身軽に動いていて、隣のベッドの人の面倒を見ている。私はまだ術後直後で使い物にならず申し訳ない。

隣の人は手術後のようで、麻酔が合わなかったようで、胸や肩の痛みを訴え、呼吸がかなり速くつらそう。モルヒネを入れているけど、それでも痛みが強いらしい。カニュラがすぐ抜けてしまうらしくそれでエラーのアラームがなるらしい。ナースコールのボタンがどこかへ行ってしまい、向かいのベッドの人がいなくなったときに私にナースコールを押してとたのまれて以来、エラーがなると、押しましょうか?と言うようになった。まあエラーのアラームがなると目が覚めてしまうから、押すのはかまわなかったんだけど。でもそれがもうずーっと夜中まで続くことになるとは。

夜中でも血液検査をしたり、医師が診察に来て、麻酔が合わなかったせいで、胸の中で出血してしまったらしくひょっとしたらICUへ行くことになるかも、もしくはもう一度手術と言う状況で、医師がなにやら注射を打った。その注射を打った直後吐き気が強まったらしく戻していたが、吐き気止めを打った後くらいから、呼吸が少し収まってきて(それでも早いほうだったけど)、少し楽になったみたい。それでそのままこの病室に残って様子見だったんだけど。

それらの処置が終わったのが夜中2時半ごろ。向かいのベッドの人はすごく言い人で、隣のベッドの人の横に座り(まあ目がさえちゃってたし)かなり長いこと話をしていて、落ち着かせてあげていた。その話し方が本当になんか落ち着く話し声で、私はいつの間にか寝入っていた。

明け方隣の人のアラームが鳴り響くまで(笑)。どうやらモルヒネが空になったようだ。モルヒネの点滴の交換は主任ナース(だと思う)の人とナース二人で、確認の嵐のような感じで行われていた。空になったと言ってもホンノちょっぴりは残っていて、その残りも何ミリリットル残っていると記録していた。モルヒネだけに管理厳しいようです。

私はトイレくらいなら自分で廊下の手すりを頼りに行けるようになり、水も部屋の飲料水をコップに自分でくめるくらいに回復し、おなかの縫った傷と肩の痛みがつらいくらいでした(後、寝不足)。

朝ごはんはセルフサービスなんです!トイレより遠いデイルームまで歩いていって、トーストは自分でトースターに入れて焼くし、紅茶は自分で入れる(ティーバッグだけど)。トーストをもさもさ食べてると月曜日に(何らかの)手術をしたのと言う50代くらいのおばちゃんと同席しました。昨日までは尿の管が入っていたからなんでもベッドの上だったけど、やっと自由になれたわと喜んでました。結構元気そう。

トーストを食べた後、家に電話したり、職場に電話したり。退院を待つばかりなので、かなり暇です。ベッドに戻ると夜勤のナースから交代したらしい日勤の新しいナースの人たちが来てました。あなたは今日退院するのよね?ときかれたので、ええお願いします(笑)、というと、もうドクターには会った?ときかれたのでそういえば会ってないと言うと、じゃあドクター探してこなきゃと言って戻っていきました。

ドクター、手術に立ち会ったドクターではないけれど、私の担当医のチームの一人であると言うドクターがカルテを持ってやってきました。そして手術の結果をおしえてくれました。

癒着がかなりありました。子宮内膜症はすこしありました。ダグラスかに診られました。あとは(どこどこと言っていたが忘れちゃった)。内膜症より癒着のほうがたくさん見られたようです。癒着の下に内膜症がないとは言い切れないけれど。3ヵ月後に外来の予約が入るので、そのときに癒着をはがす、内膜症を取る手術をするという内容の相談があると思います。と言われました。

出たかー子宮内膜症。とうとう出たかー。これで私もオフィシャルに子宮内膜症患者だ。10年慢性骨盤痛と戦い、ラパロ3回目にして内膜症を見つけてもらえました。とこれが私の感想。ショックよいうよりは、ああやっぱりね、やっとみつかったかって感じ。だってもうめちゃくちゃ痛かったし。今まで見つからなかったのがおかしい。見つけてくれてありがとうって感じです。だからって痛みがなくなるわけじゃないけど、これで何もありませんでしたっていわれたら、精神的に狂うところです。

お向かいのベッドの人は婦人科の診察へ行きました。痛みがつらそうだった。早くよくなるといいな。隣のベッドの人とは帰る前にちょっと話せました。見たらほっぺがちょっと赤みがでてきて、まっちろだった昨日の顔色とは違いかなり楽そうでした。お隣さんも3回ラパロをして、内膜症があったらしくレーザーでとってもらったそうです。レーザーでとってもらったらかなり楽になったよといってくれました。望みが出たところです。お隣さん、私よりたぶん4,5歳年上だけど、お子さんが3歳とのこと。できるのにかなり時間がかかったのよねーと言っていた。

旦那に電話してむかえに来てもらいました。やっと家に帰れる。帰ったらお昼かなー。

10/8ラパロ手術室へ

チームリーダーのナースに連れて行かれて手術室へ。時間は5時20分。自分で枕を持っていくのがなんだかおまぬけで笑えます。11病棟から手術室までかなり歩きました。階段を下りて、渡り廊下を渡って・・・結構遠いですねと言ったら、「帰りはストレッチャーで帰れるから歩かなくてすむから大丈夫だよ(笑)」と言ってました。確かに。

手術室の前の待合みたいなところでナースと待っていると、前の人が終わったのか、執刀医が出てきて、ディクタフォンに前の人の症状をぶつぶつ録音しながら、うろうろしていた。まあ質問できる雰囲気ではないな。でも前の人の症状が私に丸分かりではないか。かなりひどそうな内膜症と癒着具合だ。

チームリーダーのナースに先生は手術と手術の間に休憩する時間はあるの?ときいてみたら、まあ今日の手術はマイナーな手術だし、処置の時間中は休憩できるしそんなに疲れてはいないから大丈夫よ。今日はあなたで5人目。とまあそんな感じだそうです。今日は午後中ずっとラパロをしてたみたい。でも診るだけのラパロしかしてないからそんなに疲れてないから安心して。ってことでした。

麻酔医の二人がきて、でもダニエルではない人たちにまた質問攻め。アレルギーの有無や、体にボルトが入っているかいないか、入歯があるかないか(口をあけて確認)、などなどいろいろ確認。最後に同意書のサインをまた確認して。そしていよいよ手術室へ。

中に入ると再び名前と生年月日を確認、病院番号も腕輪で確認。確認の嵐で、患者取り違えを防いでいるようです。確認が済むと手術台の上へ自分で乗ります。手術着の後ろの紐を解いてもらって、台の上へ寝ます。持ってきた枕も頭の下へひいて。手術の時間はどれくらい?と聞くと、はっきりとはわからないけど、大体、30分、いや、45分くらいかなー?とまあ空けて診るくらいだからそれくらいなんだろう。そういえば、さっきダニエルが、手術の時間より前後の処置の時間のほうが時間がかかるのよね、と言っていた。

左手をだらりと下げさせられて、べしべし手の甲をたたかれて、カニュラ(点滴を入れるための管)
を刺すために血管を浮かせる。この針を刺すときが一番痛かったくらい。まあたいしたことはないけれど。退院する前に抜いたのだけど、入ってるのはプラスチックのふにゃりとしたやわらかい細い管だったーだから痛くないのだね。前回の時は針だったと思う。動かすたびに痛かったし。医学の進歩?

カニュラが入り、血圧計が右腕に巻かれ、サチュレーションを測る機械が指に挟まれ、さあ準備万端です。酸素マスクを渡され、これをすっていてと言われる。では今から麻酔を入れますねと言われ、カニュラに点滴をセット。

1回目の麻酔がかかった時は、麻酔医の人が今から眠くなりますよ、と言われて、冷たいものが腕に入ってきたと思ったらがっと意識がなくなり暴力的でこわかった。2回目の時は麻酔医が何も言ってくれなくて、いつの間にか麻酔が入っていて、いつの間にか意識がなくなっていて、手術が終わっていたのですごくいやだった。いつの間にか意識がなくなるのって結構恐怖だ。だから今回は麻酔医のダニエルに、麻酔を入れる時に今から入れますよって言ってねとお願いしてあった。でもそういえばダニエルがいない。

あわてて麻酔医にもう麻酔が入ってるの?と聞くとそうだよ、といわれ、何か楽しいことを考えてね。といわれる。何か、楽しいこと・・・?と返事をする前に意識がなくなった。麻酔がゆっくり効いていったようなきがする。ゆっくり効いて行ったので、がっと効いていくより暴力的でなく、優しくて、とてもよかったと思う。

目が覚めたとき、ゲホゲホ咳が出て、ちょっと過呼吸気味だった。息が速くなってしまったけど、心電図は大丈夫みたいだったようで、周りの人が精神的なものだといってるのが遠くで聞こえた。それで、あぁ過呼吸になったんだと思ったくらい。でもだんだんおさまっていって。おなかが痛いのと肩が痛いくらいで、吐き気があまりない。そういえばダニエルが吐き気止め2個入れとくねといっていた。そのおかげかな。結構楽だ。

目が覚めてかなりはじめのほうに言った言葉が「めがねとってください」私極度の近眼なんです。めがねをはめてもなんだかぼやけている。なんだかよく見えないというと、麻酔のせいだよといわれる。そういえば一番初めのラパロの麻酔からさめたとき視界が一時期白黒だったんだった。

10分もすれば段々ピントが合ってきた。壁にかかっている時計が見えてきて時間は7時半ごろ。麻酔からさめると痛いのはのど、肩、お腹。そしてなぜか太ももががくがくする。そして寒い。のどが痛いのは人工呼吸器を入れるからしばらくは痛い。肩はラパロ中おなかにガスを入れてお腹を膨らませて臓器がよく見えるようにするため、そのガスが抜けるのがなぜか肩から抜けるので肩が痛いのだ。お腹はやっぱり器具が入ってごちゃごちゃしたし縫ったあとが痛い。太ももはなぜだろう。麻酔のせい?寒いといったら、ブランケットを余分にかけてくれた。熱を測ってくれたけどまあ大丈夫だったらしい。私が痛いといっても、かなり痛いと血圧がかなり低くなるのらしい、でも私の血圧は標準範囲。きっと私はいつも痛いのできっとそのせいだろうといわれる。でも痛いのなら、モルヒネを打てるけど、モルヒネを打つと今日は泊まってもらう事になるよ。今日、帰るつもりでいる?といわれたので、帰りたいですといったら、パラセティモルを点滴で入れてくれた。

だんだん周りが見えてくる。ふっと隣を見たら、私の前の前にラパロに行った人がいた。酸素ボンベがあったりなんだか大変なことになっている。私より年配の人で、どんな処置があったのか知らないけど、今日ラパロを受けたってことはマイナーな診てもらっただけのラパロだったんだろう。私がラパロ中ずっとそこにいたのかしら?

手術中って、どういう格好をしているのかな。手術着の後ろの紐を解いたので、すっぽんぽん?上半身は診る必要がないから下だけすっぽんぽん?パンツは使い捨てのが脱がされていて大きなパッドがあてられていた(出血するから)ので、下はすっぽんぽん?おへその辺りだけ囲って開けてあるのかしら。その部分は全身麻酔中だけに未知の部分です。

麻酔医が11病棟に電話しているともう閉まるというので、31病棟(婦人科の入院病棟)に行くことになりました。ストレッチャーに乗せられて、かなり長い道のりを運ばれたと思います。病棟に着くとBay1という病室に入れられました。4人部屋で、私のほかに2人の患者さんがいました。

ストレッチャーから病室のベッドにうつるのに、板みたいなのの上にのってスライドさせてベッドに移してもらえるらしくその準備がしてあったけれど、ナースに自分で移動できそう?ときかれたので、やってみるといい、そろりそろりとやってみるとまあ何とか移動できた。上半身を起こした状態のベッドに休ませてもらい、ああ旦那に電話しなきゃ、と思うがかなりだるくて眠い。熱を測ったり、血圧を計ったりされ、この時間ではたぶん今日は泊まりだろうね、とナースにいわれ、え?帰れないんですか?(だってモルヒネ打ったら帰れないから我慢したのに!)帰る予定だったんですけど!といったら、まあしばらく休んで、何かおなかに入れて、トイレに行っておしっこが出るまで待っていたら、夜中になっちゃうからねぇ。泊まっていったほうがいいと思うよ。と言われた。それがショックで、電話の入っている、私のかばんがどこか聞こうと思ったのだけどすっかり忘れてしまった。そしてうつらうつら・・・。

しばらくしたら、ナースが来て、旦那さんから電話がかかってきてるけどと言われ、ああ電話すると伝えてくださいと言ったら、ナースが行ってしまった。しまったかばんがどこか聞くの忘れた。ボーっとする頭で、あちこち見るが見当たらない。ああ眠い。また眠ってしまいそう。ボーっとした頭でいると、どこからか聞きなれたこどもの声がする。

あれ、旦那とこどもがいる。まさか、まだ電話してないし、家からここまでタクシーでも30分はかかるのに。後から聞いたところによると、私が手術前に、今すぐ家に帰ってこどもをむかえにいって家で待機していて、と言ったときに、家に帰って私の携帯の充電器、こどものおもちゃ、夕食になりそうなパンやビスケット、飲み物など、を引っつかんで、こどもをむかえに行き、こどもをつれて、バスで病院に向かったのだそうだ。病院に着いた時点で、7時過ぎ。そこで、こどもに夕食を食べさせ(病院の喫茶店は7時で閉まると確認してあったらしい)、7時45分ごろ11病棟に電話したら、手術が終わり31病棟に行ったといわれ、私が電話すると言ってると言われたらしい。でも私はボーっとしてたし、電話の入ってるかばんがどこかわからなかったし、ちっとも電話がかかってこない。5分たっても電話が来なかったから、31病棟へ自主的に来たんだそうです。

この時点で面会時間の8時を過ぎており、でもこどもは私にあえて少しほっとしたようで、でも興味津々の5歳あちこち見たくてしょうがなくじっとしてない。旦那は私の様子を聞きだし、私が大丈夫そうだとわかると、てきぱきとかばんを捜し当て、携帯を出して充電器につないでくれ、今日のこどもの様子をかいつまんで教えてくれ、名残惜しいけど、こどもは明日学校だし、面会時間はすっかり過ぎているし今日は泊まりみたいだから帰ったほうがいいね、と言う。そうだね、私はボーっとしてるし帰れないなら使い物にならないし(笑)。こどもにぎゅーっと片手でして、「今日はママ遅くなっちゃったから帰れないけど、結構大丈夫だから明日学校から帰ってくるころにはお家に戻っていると思うよ。ダダ(お父さんのこと)のいうことをよく聞いて、おりこうにお家に帰って、いっぱい寝るんだよ。また明日ね。」とお別れをしてこどもも病院の病棟という(めったにこれない)興奮している(?)状況で、「うんわかった、バイバイ」と言うなんともまああっさりとした、寂しいようなほっとするようなお別れでした。

2011年にこの子が生まれてから一度ラパロをしてるので、私が病院でお腹を切ってカメラを入れておなかの中の痛いところを診てもらう、とういうことを体験しており、違う病院ではあったものの病院のベッドのところまでむかえに来てくれたこととか、ママに出された病院食がママが手術後食べれなくて、自分がおなかがすいてたからちょっと食べたことなど(笑)覚えています。私が毎月お腹が痛くてうめいていると、ブランケットをかけてくれたりするのでこういう治療に協力的というか、積極的に寂しいのをがんばってくれます。

2013年10月11日金曜日

10/8 ラパロ当日

とうとうラパロ。あっとういうまに来ました。朝は6時半起き。いつもと一緒です。旦那とこどもも一緒に起きる時間です。朝ごはんを一緒に食べて、朝のトピラメートを飲んでおきます。この時点で朝の7時。これ以降はお水しか飲めません。

火曜日なので、こどもは朝学校に7時50分ごろに行きます。最近ママが病院にいくということに不安を感じているらしく、今朝はいつもと同じように過ごすことにしました。私は別に出なくてよかったのだけど、いつもと同じように仕事のかばんを持って、いつもと同じようにこどもをせかして(笑)、車に乗せて、旦那と一緒に送って行きました。バイバイのぎゅーをするとなかなかはなれず、先生が連れて行こうとしましたが、ママが病院に行くというのが頭から離れないのか、なかなかはなれません。旦那が私が今日手術だからと伝えると、そうかわかったという感じで心得てくれて、それでも私はもう行かないといけないから、といって離して来ました。がんばってくるねといって。たぶん今日の夜会えるし、今日帰れなくても明日には帰ってくるからね。そういうとバイバイしていきました。こどもに我慢させるのが一番つらいなー。でもかーちゃんが元気になる第一歩なんだ。がんばってくるよ。

そして家に戻ると、10時までにできることをしようと、洗濯を一回回し、消毒ジェルを使いシャワー。なるべく部屋を片付けようとは思うものの、なんだか片付かない。まあ実家の母親が、やり残したことがあるほうがいい(麻酔から覚めるかどうかさまよってるときにやり残したことがあると目が覚めやすい?!)っていってたし、適当に散らかしておこう(笑)。どうせ日帰りだ。とりあえずシャワーと洗濯だけは干そう。

そして10時。バス停まで10分くらい歩いて、大学病院までバスに乗って、大学病院から総合病院行きのバスに乗る。その間約10分待ち時間がある。でもそのバス停が見つからない。バスの時刻表を印刷してきてあって、そこに書いてある説明のとおりにバス停を探すのだけど見つからない。そうこうするうちにバスの時間が来てしまった。そしてバスが目の前を通り過ぎるー。どっからきたのー?大学病院の側からぐるりと回ってきたみたいだけど、時刻表にはその反対側から出るって書いてるのに! そこにいってみるものの次のバスは30分後。そしてそのバスでは15分の遅刻! 病院に電話してみると、名前を聞かれ、「えーあなたの名前は今日のラパロのリストにはないけれどー、でも時間は遅れても大丈夫、ドクターには言っておくからゆっくり次のバスでおいでー」ってリストにないってどういうこと?!でもとりあえず病院まで行ってみたら、受け付けてもらえた。ああ、朝シャワーしたのにどっと汗かいちゃったよ!!

入院受付してくれたナースが黒人のなまりの強い人で、最初慣れるまで大変でした。逆に英語しゃべれる?通訳予約してないわよ?とか言われて、別に通訳はいりません!といっておきました。先週オードリーと一緒にうめていった冊子をもう一回確認していって、アレルギーの確認や(私は薬や食べ物アレルギーがある) 、体内に金属が入っていないか(私は外反母趾の手術でボルトが右足に入っている)、口の中に入歯等がないか(私の前歯4本は差し歯ではずれないー麻酔をかけるときに口に人工呼吸器を入れるので口に何か外れるものが入っているとはずすんじゃないかなー。)、などいろんな項目がある。ラパロは最終が6時まであるそうで、ひょっとしたら帰りが8時過ぎるらしい。そんなに遅くなったりするんだ。8時過ぎたら、こどもが眠くなっちゃうだろうな。結局私のラパロが何時になるのかはその「時」が来ないとわからないのだそうだ。今日の予定ではこどもは3時に学校が終わり、チャイルドマインダーがこどもをむかえにいき6時か7時まで見ていてくれ、それくらいまでに旦那がこどもをむかえに行く。という段取りになっていた。6時か7時ごろにむかえに行きタクシーで病院に私をむかえに来てくれるかな、と思ってたんだけど、なんとこの病棟は8時にしまってしまうらしい。8時を過ぎると違う病棟に移されるらしい。

この病棟は11病棟で、主にラパロ待ちの人がいる。私を含めて7人の患者がいた。そのうちの2人は違うドクターが執刀したらしく私のドクターはそのうちの5人を担当していたらしい。チームリーダーというナースが私をリクライニングチェアーのところに連れて行く。ベッドではなくリクライニングチェアー。大部屋らしくカーテンで仕切られて、そこで服を全部脱いで手術着に着替える。下着は紙の使い捨てパンツ。手術着は後ろで紐を縛るので、ナースが手伝ってくれました。そして椅子に座ってまってると、飛行機に乗るときに履くような圧がかかってる靴下(つま先は開いてる)をはかしてもらう。血栓予防のためです。サイズがいろいろ合って、足首の大きさでサイズを決める。私のは一番小さいサイズだったけど、それでも大きい感じで、あんまり圧が感じられませんでした(いいのかな)。イギリスサイズは何でも大きい。

そうそう、入院患者になると腕に名前や病院番号などを書いたリストバンドをはめられるけど、あれ、赤いバンドだとアレルギーのある人用なんだそうです。私は薬や食べ物にアレルギーがあるので赤い色でした。普通は何色なのかしら?

その後執刀医の先生が回ってきてちょっとずつ話をしてきてました。私のところに来たとき、どう元気?といわれ、何か書類を見ていて、あ、また後で来るからといってどこかへいってしまいじゃあ後で質問をしようと待ち構えていました。その後来たのはレジストラー(執刀医の先生のチームの一人)が同意書、これこれこういう危険(感染症とか万が一の時は回復になるなどのリスク)がありますが、同意しますか?という書類を持ってきて、サインして、それっきり、執刀医の先生は現れませんでした。

だって最初の人が呼ばれていったし、そしたらもう先生は手術室に入ったって事だし、そしたらもう来ないよね。もう!聞きたいこともあったのにな。でもここまで来たら信じるしかないのだ。私の担当の先生はプロフェッサーで、ドクターよりも上でよかったねって言ってくれる人もいて、この先生にかけてみよう、この先生が私の痛みの原因を見つけられないのなら、誰が見つけられるのだ!と思うことにしようと決めたんだから。病は気からって言うじゃないか(笑)

後はとくにすることもなく自分の番が来るのを待つだけ。旦那とテキストメッセージを何度かわす(実況中継)。30分間返事がないと手術に入ったとみなして病棟に電話するといわれて、あわてて返事をする(笑)。私はテキストメッセージ、めちゃくちゃ打つのが遅いのだ。そして私のへっぽこ携帯、家を出る前は充電がいっぱいだったのに、だんだん電池が少なくなってきた。こんなにたくさん一日にテキストメッセージを打ったことないし(笑)。それにしても旦那、仕事中じゃないの?ある時電話してみたら、仕事は昼休みで早退しただと!手につかないからだって!だって私まだまだ手術のみこみがたってないのに?!たーのーむーよー。これから病院に向かうって。だってここ男子禁制だから来ても会えないし。万が一私の手術が遅くなったら誰がこどもをむかえに行くんだよ。職場か家のほうで待機していてくれよ!という私の心の叫びもむなしく、私の携帯の電池はすぐ充電してくださいというメッセージが出て来る。もう切らないと手術終了の電話をかける電池がなくなるのであわてて切る。

4時近くなってもまだ順番が来ないし、そういえば麻酔医がまだ来てない。麻酔医がこないってことは私の番はまだまだってこと。きっと最後かな。レジストラーがきた時リストがちらりと見えて、私の名前が最後にあった。きっとキャンセル待ちの代わりだったからだと思うんだけど。ナースのチームリーダーの人が、手術の順番は執刀医が回ってから、その後にチームと相談して決めるのでナースにもわからないといっていた。なので私が最後ともわからないけど、でもここまで来たら最後っぽい。あと3人残っている。

3人目が呼ばれた時、旦那に電話する。今すぐ家に帰ってこどもをむかえに行って、家でまっていて。手術が終わったらすぐ電話するから。後二人だけど、まだ麻酔医が来ないから私がきっと一番最後だと思う。携帯の電池がもうないから、長く話せない。と切羽詰った声で話すと、わわわかった。といって帰って行った(笑)。スマン旦那様。私は大丈夫だから。こどもをむかえに行ってーあげてー。病院からとんぼ返りさせてゴメン。でもまさかまだ呼んでもいないのに病院に来るとは・・・。

そして4人目が呼ばれていったころ、やっと麻酔医登場。私の名前を見て、あれ、日本人?「ワタシノーナマエハーダニエルデース」とたどたどしい日本語で!日本語を話す麻酔医!こどもの頃日本人のハーフの友達がいたんだそうで、日本語を教えてもらったんだそうです。すごいさばさばしたドラマに出てきそうな麻酔医でした(笑)。私が、2011年歯医者で局所麻酔治療後倒れて、救急車の世話になった、でもその何ヶ月か後、アドレナリン抜きの局所麻酔で歯医者の治療を続けた。そして2011年アドレナリン抜きの全身麻酔でラパロをしてなんともなく、2012年、アドレナリン抜きの局所麻酔で外反母趾の手術をしてなんともなかったので、アドレナリン抜きの全身麻酔ってできますかー?と聞いてみたら、「アドレナリン抜きの全身麻酔なんてないのよね」といいじゃあこの前のラパロで使った麻酔は何だったんだろう、と聞くと、「まあそのときのカルテも見てみるけど、アドレナリンは心停止とかしたときに生き返らせるために(?)打つ薬で、麻酔にいれる物ではないんだよね。もしかしたら薬の名前の聞き間違いじゃないかな?」と驚きの言葉。まあ私の聴き間違いならいいんだけど、2011年のラパロのときの麻酔医はアドレナリン抜きの麻酔でお願いといった私に「わかった」といったのだ。

ダニエルは私が2006年のラパロ後にかなりの吐き気を感じたことに、吐き気止めを2ついれてくれるといっていた。ECG異常の話もじっくりと聞かせ聞いてくれ、ダニエルはすっかり満足したようで、私のラパロもキャンセルされることもなく執行されるようです(笑)。

そして電話がかかってくる。この電話がいやだ。初めわからなかったんだけど、ナースカウンターにかかってくる電話。次はだれだれを手術室に、って言う電話がかかってくる。そして、チームリーダーがその人のところへカルテをもってそっと行き、さあ行きますよ、という。まるで刑の執行のよう(笑)。まさにその「時」がこないとわからない。私はそれを最後まで見届けたのです・・・。

そしてとうとう私宛の電話もかかってきました。緊張のあまりトイレに行きましたが、でるものもでません(笑)。チームリーダーがカルテの束を持ってきて、確認をはじめます。名前、生年月日の復唱。病院番号の確認。同意書にサインをしましたか?これはあなたのサインですね。アレルギーの確認。などなど。

そして枕を持って(笑)、手術室へ行きます。歩いていくのです。もう戻ってきて、回復にいそしんでいる(紅茶やビスケットを楽しんでいる人たち!)を見ながら、みんな微笑んでくれています。がんばってねと手を振ってくれる人もいました。とうとう私の番。3回目だけど、やっぱ緊張するね。

ラパロの準備

金曜日は仕事が休みなので、食料の買出しに行ってきました。旦那はとりあえず炊飯器と電子レンジは使えるので(笑)、缶詰のメインになるようなものを。チキンカセロールとかミートボールとか缶詰あけてチンすれば、ご飯と一緒に食べれる物を用意。後は冷凍できるキッシュとかピザとかゲットしてきました。

ご飯も大量に炊いて冷凍。去年外反母趾の手術をしたときもご飯を大量に炊いて、冷凍して、お昼ご飯はご飯と何かを食べていました。弱ってるときは日本人はご飯だよね(笑)。特に海外にいるとご飯と梅干でもお昼ごはんではご馳走感が出ます(笑)。あとテスコ(イギリスの大手スーパー)に売っている照り焼き味の魚の缶詰。これとご飯があればシアワセです(笑)。

今回術後仕事を休むのは一週間。まあ2週間くらいは重たい買い物を避けたいかなという感じなので、2週間分くらいの食料を買い出しました。後は随時旦那に牛乳やらサラダやら果物やらを買ってきてもらうかな。これで飢えることはありません(笑)。こどもの好きなデザートや、学校のランチボックスに入れていくビスケット系もたくさん買っておきました。

旦那は車に乗れないので、バスで移動。なので重いものやかさばるものは買っておこうとトイレットペーパーやディッシュウォッシャータブレットや洗剤などは買っておきました。これで大丈夫。

なーんか手術慣れしてきた感じです(笑)。前回は外反母趾で、10週間仕事を休まないといけなく、まあ2ヶ月間は車に乗れない不自由な生活だったので、面倒でしたが、スーパーのデリバリーをつかってたし、結構適当だったかな。

日本からの救援物資もかなりあったし。日本からはフリーズドライの食べ物を送ってもらいました。送るのにレトルトとかよりかなり軽いし、そしておいしい。アマノフーズのでした。お湯をかけるだけで、タマゴ丼やらカレーやらがあっという間にできるんです。スバラシイ。日本のみなさんも非常食にぜひどうぞ。

後はなるべく洗濯をしきっておいたり、幸いなことに週末はいい天気でした。庭のひまわりの種もだいぶできてきて、鳥のえさにするべく種を乾燥させようとせっせとほじくって出してました。積極的にほじくっておかないとすぐ雨が続いてかびてしまうからなー。

病院に持っていく一泊用かばんも用意。ガウンは持っていないので旦那のを借りました。がばがばだけど、ガウンを使う目的は手術着の上に着るのだけど、病室から手術室まで歩いていくときに着るだけです。手術着は後ろ側があいているので、ガウンでその後ろ側を隠すのです。でもよっぽど幅のある人じゃないと後ろが見えるってことはないと思うけど・・・。私は前回普通のカーディガンでよかったような気がするけどな。手術着ぶかぶかだもん。あとはスリッパ。スリッパも特にないので、夏のつっかけのようなサンダル。履きやすいのでこれにしました。病院は寒いので、フリース系のパジャマ。パジャマの下はラパロ中ガスを入れておなかが膨らむのでゆったりとしたもの。私は妊婦中にはいていたまた上がたっぷりある妊婦用レギンズ(6年前のものだけどまだ持っていた! おなかが冷えなくていいんだよね) ラパロ後は出血するので新しくない(笑)下着。靴下。などなど、あとは時間つぶし用の本を2,3冊。歯みがきセットと化粧水。

そんなことをしているうちに週末もおしまい。

10/3 プリアセスメント(術前検査)

プリアセスメントへ行ってきました。総合病院へ2時15分から。約2時間ということです。私の今日の仕事のシフトは2時から7時ですが、5時から7時はどうしても抜けられないので、2時から5時は休ましてもらい5時までに行くと連絡しました。2時15分から2時間ということは4時15分、30分遅れでも病院から職場まではまあ何とかラッシュでも15分もあれば着くし。まあ何とかなるでしょう。

プリアセスメントへつくと、かなり分厚い冊子に、名前から住所年齢職業、職場の連絡先、緊急連絡先、家族の連絡先、とありとあらゆる個人情報、家が平屋か二階建てかまで(笑)まあこれは術後のケアに関するんだろうけど。薬や食べ物アレルギーは歩かないか、今までの大きな病気歴、手術歴、血縁の家族の病気手術歴、麻酔で問題があったことがあるか、飲んでいる薬、手術をする上で病院側が知っておくべきことなど7ページにわたって私が記入する冊子がありました。

その冊子を記入後、続きはナースのオードリーがします。このラパロスコピーは日帰り手術なので、誰がむかえに来てくれるか、車でむかえに来るのかタクシー(バスでは帰れませんよ)か。入院前にはこの消毒ジェルで全身を洗ってくること、とボトルを渡されました。消毒ジェルで洗った後は自分のシャンプーや石鹸で洗っていいとのこと。MRSAを防ぐためだそうです。MRSA関連では入院前に菌を持ち込まないようにと、鼻の穴と股のところを(別々のでですよ!)大きな綿棒でこすり感染していないか検査します。後、尿検査。血圧と身長体重を計りました。BMIを出してました。

血圧、上が125でしたが95とかで高かったです。後でシニアナースにチェック入れられた。私、もともと低血圧で、上が95とかだったのに、どうなっちゃったんだろう。急なラパロでてんぱってたのかしら?

私は片頭痛予防でトピラメートを朝晩25mg一錠ずつ飲んでいます。そこでオードリーが娘さんも片頭痛もちでいろいろ治療をしたと、片頭痛話でしばらく盛り上がりました(笑)。娘さんはボトックス注射もためしたらしい。でもあんまり効かなかったみたい。そうなのかぁ・・・。

オードリーからは入院についての説明を受け、万が一一泊する場合の準備をしてくるようにといわれました。後は持ってくるもののリストを渡され、それには、スリッパやガウン、時間つぶしグッズ(笑)などのほかに、消毒ジェルの残り(もし入院する場合これを入院中も使う)、尿検査用の当日のおしっこ。などなど。

麻酔について、血栓予防の運動、MRSA予防のための消毒方法などなどのパンフレットをもらい読んでおくように言われました。

全身麻酔で午後手術なので、朝7時から絶食、7時以降は飲み物は水のみ(コーヒー紅茶など水以外は飲んではいけない)、10時以降は水も飲んではいけない(ミントやチューインガムも駄目と書いてあった)。11時半までに病院に着かないといけないので、私は10時ごろには家を出ないといけないので、まあ水をもたずにでれば大丈夫でしょう。朝たいてい6時半には起きて朝ご飯食べるし、普通に起きれば朝ご飯も食べれる。

絶食はたいてい我慢できる。緊張してるし。でものどの渇きって、緊張してるとさらにのどが渇くんだよね。それがつらい。


オードリーのあとはシニアナースのプリアセスメント。この時点で4時を回っている。駐車場代を2時間しか払っていないし(ここの駐車場は前払いなのだ)、あんまり遅れると仕事にも遅れるので、まだかかりますかーと聞くと、後10分くらいだよと言われるのでしばらく待つ。

後10分(で終わる)といわれたのに、後10分待たされた私、シニアナースに部屋に連れて行かれ、いろいろ質問攻めにあう。いろいろ引っかかる項目があるらしく、アレルギーや、麻酔に対して質問をされる。麻酔は一度歯医者の局所麻酔で倒れてるので、がっつり聞かれた。本当のところは麻酔科に予約を入れて麻酔医の診察を受けてほしいけれど、ラパロが火曜日だしその前に麻酔医の診察がない。ラパロを延期するか、当日麻酔医と話をして、もしかして麻酔医が無理だというとキャンセルになる可能性があるけれどいいか、と何度も念を押された。私は歯医者で倒れてから、そのあと全身麻酔でラパロをしてるから、大丈夫だと思うし、ラパロをキャンセルするとまた長く待たないといけないからキャンセルしたくない。当日キャンセルされたら受け入れるからこのまま行かせてほしいとたのんだ。

そして私はECG(心電図)に異常がでてしまうので、ECGをとられる。ECGは異常がでるけれど2011年に循環器科で24時間ECGをとって、心エコーもして心臓は健康と太鼓判を押してもらったので大丈夫ですというのだけど、やっぱり確認しないといけないらしい。ECGをとって、総合病院の先生を探してチェックしてもらいに行ったらしい。

このECG異常も歯医者の麻酔で倒れてから、発見されたことで、あの歯医者の麻酔以来私の病院通いがなかなか切れないのだ。こんなにいろんな科を回ることになるとは。いろいろ無料でNHSでチェックしてもらえるというのはありがたいというか、なんと言うか。そのおかげで、職場からにらまれつつあるのだが(病院通いでよく仕事を抜けたから)。

ECGを取るといわれた時点ですでに4時半。もう仕事に間に合わないと思って、電話をかけさせてもらった。まだ病院にいるので、10分くらい遅れそうですと。

結局病院を出してもらえたのが5時ごろ。幸い駐車場で違反切符は切られてなかったけど、雨が降り出してきてるし、ラッシュに入ってるし、仕事には15分も遅れるし。まあ上司がいない時間でよかった(笑)。

無事にラパロが済むかしら。



10/2 病院からの電話

上司とミーティング中、私宛に電話がありました。同僚がこどもの学校からかと心配してミーティング後あわてて教えてくれました。でも学校からなら学校の名前を言うはずだし、電話をくれた人の名前に覚えがない。私は帰る時間だったので、また帰ったら家から電話をするわといって帰りました。

家に帰って電話をしてみるとなんと、大学病院の婦人科の受付でした。ラパロのキャンセル待ちがでたから、来週の火曜日の手術を受けられるか、ですって!来週?何ヶ月も待たせたあげく急に来週って言われても。それにプリアセスメント(手術前検査)に明日の午後予約を一応入れてあると。

急なことで心の準備もしないといけないし、旦那に電話しないといけないし、こどものおむかえも頼まないといけないし、職場に電話もしないといけないし、この電話でハイお願いしますとは言えないよ。

とりあえず、いろいろアレンジすることがあるから、折り返し電話するということでいいですか?というと4時まで今日はいるからという。今は2時半前ですが・・・。

とりあえず旦那の職場に電話。旦那は遅々と進まない私の治療にいらいらしていたので、急な手術でも飛びついて、バックアップはするからやってもらえという。ありがたい。

職場は今一人病気で長期に休んでて、私がラパロで休むとなると1週間は休まないといけないのできついだろうな。気が進まないけど電話してみる。直属の上司は上司の上司に掛け合ってみるから折り返し電話するといってくれる。結局OKがでて、病院に電話したのが3時45分。そしたらなんともう留守電になってるー。4時までいるって言ったじゃん。とりあえず、名前と病院番号(患者番号みたいなもの)をいい、手術を受けたいということを留守電に入れ、よければOKの電話を折り返しかけてほしいとメッセージを入れておいた。そしたら4時過ぎに電話がかかってきた。

聞いてみたら、明日のプリアセスメントも火曜日の手術もいつも行ってる大学病院ではなくて、大学病院だけど違う場所にある総合病院のほうだという。電話折り返しかけてきてくれてよかったです、大学病院のほうへ行くとこだったよ。危ない危ない。私の住んでる市には3つ大きな病院があって、どっちの病院になるかは予約のときにしかわからない。

交通の便は大学病院のほうがいいけど、入院となると総合病院のほうがいいらしい。私は前2回のラパロを大学病院のほうで受けたけど、総合病院のほうはどんな感じかなー。総合病院はバスを乗り換えないといけない。

紙より布

布ナプキン、というのに惹かれますが、初期費用が結構するのに加え、ずぼらな私にお洗濯が続くかどうか不安でした。でもいろんな人のブログを見たりレビューを読んだりすると生理痛緩和にかなりいいらしい。

ところで、ウチには育ち盛りの男子が約一名。いや、育ち盛りの年頃の男子が約一名。なかなか背が伸びなかったりはするものの、のびのびになったりしみだらけになった、もしくは小さくなったTシャツやら、Tシャツ・コットン素材の要らない服が山ほどある。私の要らなくなったTシャツやらもある。要らなくなった服を生理用ナプキンの2倍か3倍くらい(2倍か3倍かにするのはその元の大きさによるのでどっちでもかまわない)の幅に切り、縦はナプキンと同じくらいに切り用意しておく。それを2倍幅に切ったのは2つ折りに、3倍幅に切ったものは3つ折りにしてナプキンと同じ箱に用意しておき、いざ出血が始まったら、まずナプキンをひいて、その上に布をのせて置き、肌に直接紙のナプキンが当たらないようにしてみた。

布ナプキンを推奨する人たちは紙のナプキンをケミカルナプキンと呼ぶ人もいて、まあ化学薬品が入っているのであろう、それが生理痛にもよくないんだろうとは思う。使い捨てで便利だけど。私の場合はずぼらなので、使い捨ての布ナプキンにしてみました。

布を乗せるのを始めて、はじめの何ヶ月かは毎日布が用意できなかったり、まったく用意できなかったりする月もあったりで、適当だったけど、ここ3,4ヶ月はまじめに(?)布を生理中毎日のせてました。ただ、8月の生理は日本滞在中で、布が準備できなかったので、布はまったくナシ。そのせいか、途中から肌がひりひりしてきました。

私の出血は10日くらいかかるので、紙ナプキンだけだとだんだんひりひりしてきていたので、つらかったのだけど、布をのせておくとひりひりもない。まったくひりひりしない。生理痛は、なくなったわけではないけど、死ぬほど痛いという日はなくなったような気がする。

9月は出血が8日くらいで終わった。今まで、重い日が4日目か5日目だったのに、2日目と3日目がつらかった。2日目が重いのよという標準の女の子のような感じで、ちょっぴり嬉しかったりして(笑)。

生理前の痛みはやっぱりあるけど、薬をのめるだけ飲んで、TENsマシーンも使えるだけ使って、それでも痛くて死にそうな回数が減ったような気がするので、このMy布ナプキンも痛みにはいいのかもしれない。切ってつかい捨てる古Tシャツがなくなる前に、洗ってつかいまわす環境にも優しい布ナプキンを作ってみようかな。

ちなみに紙ナプキンを一番下に引いてるので、もれたりもしないし、紙ナプキンが汚れる前に布を取り替えるので、紙ナプキンは1日に1,2回取り替えるくらい。なので、経済的にも優しいです。布だとすぐしみちゃうんじゃないかと思ったけど、結構しみなくてびっくりです。もしかして、出血量も減ってきたのかなー。

2013年10月10日木曜日

7月日本で市民病院受診

地元のクリニックの先生の紹介状を握り締めて、隣の県の市民病院を受診してきました。部長先生宛だったのだけど、部長先生は予約がなければ見てもらえないらしく、予約はなんと3ヶ月待ち! 3週間しか日本にいられない私は、婦人科のある先生に診てもらうことに。それも朝一8時半受付に行ったにもかかわらず、予約の人の隙間に入れてもらう形になるので、何時に見てもらえるかわからず、結局11時半ごろ。まあ総合病院ってそんなもんだよね。

ここの先生もいい先生でした。話をよく聞いてくれて、かなりの痛みがあるということをわかってくれました。

生理のたびに来る胸の痛みをどうにか診断してあげようとCTスキャンの予約を取ろうとしてくれたのだけど、生理中にとらないと意味がないので、結局あわず。ぎりぎりCTが撮れても結果を聞きに行く予約が取れず意味がない。まあイギリスに帰って生理中にCTスキャンかレントゲンをとってもらうといいよと言ってくれました。

お腹の痛みは内診後やっぱり、そんなにがっつり癒着があるような硬いお腹じゃないといってました。癒着ってなくなるもんなの?

内診中、もしかしたら、腺筋症の可能性があるかもしれないですね。子宮の筋肉が大きいように見えますといっていた。生理前のあの激痛、出血がだらだらと10日も続くこと、そうかもねー。腺筋症は内膜症が子宮の筋肉層に入り込んでしまうもので、根治には子宮全摘をすすめられる。

ということで、ここでも全摘をすすめられましたー。まあ腺筋症もまだ疑いの段階なので、もし、確定ということなら、全摘も視野に入れなければ仕方ないんだろうな。

ここで手術をしてもらえる場合どういうスケジュールになるか聞いてみました。手術の場合、必ず部長先生の手術前診察を受けないといけないので、私の場合、帰るまでに(というかできれば今日中に)、次の診察の予約を12月ごろに入れ、MRIの予約を入れ、私の場合、CTスキャンも予約を入れ、下血のある私は消火器外科とも連携をとりつつ、12月ごろ1ヶ月くらい日本に滞在することになる。そして手術は来年の夏休み中でもOK。まあ手術はどうせ6ヶ月待ちだそうだから。

ここで手術を部長先生にしてもらえれば精神的には安心だけど、経済的に、体力的につらそうだな。そして職場にもかなり迷惑かけるし、家族も大変そう。そういうほかの人に迷惑がかかってるのを見る私の精神力的につらそう。ああ、なぜイギリスにお嫁に来たのー。12月に1ヶ月に日本に行くには学校があるこどもを3週間は旦那とほったらかしにしてしまうし。こどもが学校に上がる2年前に日本で手術を決断していたら、もうちょっと現実的だったかも。

とまあこういうことで、もったいない日本の手術を目の前に(笑)、家族と相談して手術をお願いするならイギリスに帰る前に予約に来ますといって、診察を終了しました。

ああ! 12年まえイギリスに来た私に言いに行ってやりたい。

家に帰って、旦那にメールしたけど、わたししだいだって。12月に日本に1ヶ月滞在って言うのがネックだよなー。嬉しいけどさー。こども、うまれてから私とまだはなれて寝たことないし(って言うか私が離れて寝れないのかも)。

結局予約はしませんでした。イギリスでも一応ウエイティングリストに乗ってるし、8月の終わりごろが11月ってなってたから、まあ年内にはあるでしょう。来年の6月よりは前にラパロをすることになって、きっとその後に癒着をはがす手術か内膜症が見つかったら内膜症を取る手術をすることになるだろうし。イギリスにすむことに決めたのは自分だし、しょうがないよね。

7月日本でのクリニック受診

日本について、地元の産婦人科のクリニックを受診してきました。ここは去年初めて受診して、相談にのってもらったところです。待ち時間は結構あったけど、結構話をよく聞いてくれてよかったです。でも、去年の話では私の年齢と、こどもが一人いる(そしてこれから作る予定がない)ということから、子宮全摘をすすめられていました。

全摘以外の方法がないか、なければ日本で手術を受けるには、隣の県にある市民病院の婦人科がいいと聞いたんだけど、紹介状を書いてほしいというのが受診理由でした。イギリスでは、2006年にPCOSかも知れないという理由でラパロ(観察のみ)、でもとくに治療が必要な所見は見られず。
痛みがなおらないので、いろいろな痛み止めや鍼治療をして、2007年に妊娠、2008年に出産後1年後くらいに痛みがはじまる。
2011年にラパロ(観察のみ)、内膜症は診られず右骨盤内にたくさんの癒着。術後ゾラデックスを3ヶ月。痛みがよくなったのは最後の2ヶ月。最後のゾラデックスからきっかり4週間後に痛みがはじまる。

このクリニックの先生の内診によると癒着ががっつりあるような硬いお腹ではないといわれ、???という感じ。でもラパロで目で見て確認されたんだけどなー。今回もやっぱりそんなに痛いのなら、早く全摘したほうがいいよ、去年も言ったでしょう?といわれた・・・。

そうだよね、このまま子宮残しておいても毎月痛いだけだよね。こどもをもう産まないなら、とったほうが健康にもいいはず。とりたくないってことは、こどもがほしいんだろうな。でも旦那は一人で言いというし。一人ではこどもはできないし。だから取れないのかも・・・。

でももし、もう一人生まれたら、育てるのも大変だろうな。私のワガママなだけか。

結局先生は、隣の県の市民病院の産婦人科の部長先生宛に紹介状を書いてくれました。ここの先生はいい先生だよといいながら。

ほったらかしにしてしまってすみません。

読んでくださっていた方々、気づいたら3ヶ月もほったらかしにしてしまってましたすみません。

日本に行って帰ってきて、しばらくしたら、ネットの調子がおかしくなって、プロバイダーをついでにかえて、気づいたら私の仕事が忙しくなる9月に突入。

9月からパートタイムになったものの仕事量はフルタイムのときのままで、仕事中は2倍速で仕事。帰ったらご飯を食べて一息ついたらこどもを学校におむかえ。

こどもの学校はあるいて2分のところにあるのですぐで楽なのだけど、帰ってすぐおやつだったり、前の道で近所の子と遊んでけんかになるのを成敗させられたり。私がこどものころ友達とけんかになっても親を巻き込んだりしなかったのに! 最近では(この辺では?)親に言いつけに来るんです。まあうちの子が悪いこともあるからしょうがないんだけど、たいていはどっちもどっち。だれだれがこれこれを言ったから、うちのこが悪いことを言ったとか、その逆とか。まあどっちもどっちなことです。二人とも謝らせてハイおしまい。ということがかなり多いですが。家事の合間に時間をとられます。たまに泣いて帰ってきて、どうしたの?ときくとだれだれにたたかれた、とか言いにきて、はっとして、その子のお母さんに言いつけに行くまでに強くなってきました(笑)。この辺はこういう感じなんですかねーとそのこのお母さんと話していたら、そこでも「私のこどものころは親は巻き込まなかったわねー」と笑っていっていたので最近のトレンドのようです(笑)。

とまあパートタイムになって時間があるように見えて、なぜか逆に忙しい感じであったといういいわけでした。

これから3ヶ月の穴埋めをしていきます。なぜなら、おとといラパロをしてきて1週間仕事が休みになったのです。