2013年10月13日日曜日

10/8ラパロ後病棟で―ラパロの診断

手術室ではかなり痛かったものの、パラセティモルの点滴が効いてきたのか、旦那とこどもが帰ってからしばらくして一眠りするとおなかの痛みはだいぶ我慢できるくらいになりました。がまんできないのは肩の痛み。動くとウギャーと痛い。目が覚めたのは隣のベッドの人のアラームがなり始めたから。どうやら点滴の管が外れてアラームがなりはじめたようです。ナースが来て処置をしていったのですが、目が覚めてしまいました。夜10時ごろです。水を飲んでトイレに行かなくてはと思い、水をがんばって飲むのですが、なかなかトイレに行きたい感じがしません。

肩が痛くて、しょうがないので、ナースに痛み止めをもらうとアレルギーがいろいろあってきつい痛み止めの飲めない私はパラセティモルとイブプロフェンくらいしか飲めません。イブプロフェンは空っぽの胃では飲めないので、何か食べないといけないよと言われ、何か食べれる?と言われ、あんまり食べたくないけど、痛み止めのためなら食べてみると言うと、じゃあスチューデントナースにキッチンに行って何があるか見てきてもらうわねと言って行ってしまった。スチューデントナースがトーストなら食べれる?と聞くので食べると言うと持ってきてくれました。この人スチューデントだったのか。ほかの人とユニフォームが違ったから、偉い人なのかと思ってた(笑)。ほかのナースよりかっこいいユニフォームだったからさ。

トーストを食べたら、5分位したらイブプロフェンを飲んでねと言ってカッコいいユニフォームのスチューデントナースは去っていきました。トースト、薄っぺらいイギリスのトーストを2枚食べるのに30分はかかり(肩も痛くて腕があげにくいし、食べるのって体力使うね)、この5分待つ間にトイレに行ってみようかなーと思い、ナースにトイレに行ってみようと思うんだけどと相談(笑)術後最初にトイレに行く時はナースコールを押せと言われていた。ベッドサイドテーブルにイブプロフェンが残っているのを見て、薬をテーブルに置きっぱなしにしないでほしいの(ほかの人が飲んだりして事故が起こってはいけないかららしい)と言われ、結局トイレに行く前に飲んだ。

すっかり忘れていたけど、私のおまたにはでっかいナプキンが挟まっているだけであったのです。ナースが、新しい紙パンツと普通サイズの(それでもでかい)ナプキンをくれました。トイレまではそのでかいナプキンをまたに挟んだまま落とさないように歩かないといけません(笑)。落とさないでいけるかしら?とかそんなことをナースに言ってしまった私、やっぱりぼけてんね。ナースも笑って大丈夫よとかいってたけど返答に詰まっただろうね。ナースについてきてもらってトイレに行って大正解。かなりふらついてて、一人だったらかなり危険だったと思う。私の部屋はBay1だったんだけど、トイレはBay1,Bay2の部屋の隣にある。たったそれだけなのに手術後ってこんなに歩けない。ヘロヘロのボーっって感じで、ナースに支えてもらって、トイレに到着。終わったらコールを押してね、絶対だよ。と念を押される。行動がちくいちスロー。お腹を見ると大きな絆創膏がおへそとその下に2枚。このあたりを切ったんだな。そしてお腹から太ももの上辺りまでヨーチン色になっている(笑)。何とかトイレを終えてナースコール。

帰りは行きより自分で歩けたかな。廊下の手すりも使って。お腹も1,2回目のラパロのときよりだいぶ楽な気がするし、肩さえ痛くなければいいのになーとおもいつつ、ベッドに戻る。トイレに行って動いたから、肩の痛み倍増(泣)。

隣のベッドの人の具合がどんどん悪くなっているようで、急変を知らせるアラームやらエラーのアラームがなりっぱなし。向かいのベッドの人はかなり痛みがあるようでしょっちゅう痛み止めを飲んでいるみたいだけど、まだ手術とかはしてないみたいで身軽に動いていて、隣のベッドの人の面倒を見ている。私はまだ術後直後で使い物にならず申し訳ない。

隣の人は手術後のようで、麻酔が合わなかったようで、胸や肩の痛みを訴え、呼吸がかなり速くつらそう。モルヒネを入れているけど、それでも痛みが強いらしい。カニュラがすぐ抜けてしまうらしくそれでエラーのアラームがなるらしい。ナースコールのボタンがどこかへ行ってしまい、向かいのベッドの人がいなくなったときに私にナースコールを押してとたのまれて以来、エラーがなると、押しましょうか?と言うようになった。まあエラーのアラームがなると目が覚めてしまうから、押すのはかまわなかったんだけど。でもそれがもうずーっと夜中まで続くことになるとは。

夜中でも血液検査をしたり、医師が診察に来て、麻酔が合わなかったせいで、胸の中で出血してしまったらしくひょっとしたらICUへ行くことになるかも、もしくはもう一度手術と言う状況で、医師がなにやら注射を打った。その注射を打った直後吐き気が強まったらしく戻していたが、吐き気止めを打った後くらいから、呼吸が少し収まってきて(それでも早いほうだったけど)、少し楽になったみたい。それでそのままこの病室に残って様子見だったんだけど。

それらの処置が終わったのが夜中2時半ごろ。向かいのベッドの人はすごく言い人で、隣のベッドの人の横に座り(まあ目がさえちゃってたし)かなり長いこと話をしていて、落ち着かせてあげていた。その話し方が本当になんか落ち着く話し声で、私はいつの間にか寝入っていた。

明け方隣の人のアラームが鳴り響くまで(笑)。どうやらモルヒネが空になったようだ。モルヒネの点滴の交換は主任ナース(だと思う)の人とナース二人で、確認の嵐のような感じで行われていた。空になったと言ってもホンノちょっぴりは残っていて、その残りも何ミリリットル残っていると記録していた。モルヒネだけに管理厳しいようです。

私はトイレくらいなら自分で廊下の手すりを頼りに行けるようになり、水も部屋の飲料水をコップに自分でくめるくらいに回復し、おなかの縫った傷と肩の痛みがつらいくらいでした(後、寝不足)。

朝ごはんはセルフサービスなんです!トイレより遠いデイルームまで歩いていって、トーストは自分でトースターに入れて焼くし、紅茶は自分で入れる(ティーバッグだけど)。トーストをもさもさ食べてると月曜日に(何らかの)手術をしたのと言う50代くらいのおばちゃんと同席しました。昨日までは尿の管が入っていたからなんでもベッドの上だったけど、やっと自由になれたわと喜んでました。結構元気そう。

トーストを食べた後、家に電話したり、職場に電話したり。退院を待つばかりなので、かなり暇です。ベッドに戻ると夜勤のナースから交代したらしい日勤の新しいナースの人たちが来てました。あなたは今日退院するのよね?ときかれたので、ええお願いします(笑)、というと、もうドクターには会った?ときかれたのでそういえば会ってないと言うと、じゃあドクター探してこなきゃと言って戻っていきました。

ドクター、手術に立ち会ったドクターではないけれど、私の担当医のチームの一人であると言うドクターがカルテを持ってやってきました。そして手術の結果をおしえてくれました。

癒着がかなりありました。子宮内膜症はすこしありました。ダグラスかに診られました。あとは(どこどこと言っていたが忘れちゃった)。内膜症より癒着のほうがたくさん見られたようです。癒着の下に内膜症がないとは言い切れないけれど。3ヵ月後に外来の予約が入るので、そのときに癒着をはがす、内膜症を取る手術をするという内容の相談があると思います。と言われました。

出たかー子宮内膜症。とうとう出たかー。これで私もオフィシャルに子宮内膜症患者だ。10年慢性骨盤痛と戦い、ラパロ3回目にして内膜症を見つけてもらえました。とこれが私の感想。ショックよいうよりは、ああやっぱりね、やっとみつかったかって感じ。だってもうめちゃくちゃ痛かったし。今まで見つからなかったのがおかしい。見つけてくれてありがとうって感じです。だからって痛みがなくなるわけじゃないけど、これで何もありませんでしたっていわれたら、精神的に狂うところです。

お向かいのベッドの人は婦人科の診察へ行きました。痛みがつらそうだった。早くよくなるといいな。隣のベッドの人とは帰る前にちょっと話せました。見たらほっぺがちょっと赤みがでてきて、まっちろだった昨日の顔色とは違いかなり楽そうでした。お隣さんも3回ラパロをして、内膜症があったらしくレーザーでとってもらったそうです。レーザーでとってもらったらかなり楽になったよといってくれました。望みが出たところです。お隣さん、私よりたぶん4,5歳年上だけど、お子さんが3歳とのこと。できるのにかなり時間がかかったのよねーと言っていた。

旦那に電話してむかえに来てもらいました。やっと家に帰れる。帰ったらお昼かなー。

0 件のコメント:

コメントを投稿