2013年10月11日金曜日

10/8 ラパロ当日

とうとうラパロ。あっとういうまに来ました。朝は6時半起き。いつもと一緒です。旦那とこどもも一緒に起きる時間です。朝ごはんを一緒に食べて、朝のトピラメートを飲んでおきます。この時点で朝の7時。これ以降はお水しか飲めません。

火曜日なので、こどもは朝学校に7時50分ごろに行きます。最近ママが病院にいくということに不安を感じているらしく、今朝はいつもと同じように過ごすことにしました。私は別に出なくてよかったのだけど、いつもと同じように仕事のかばんを持って、いつもと同じようにこどもをせかして(笑)、車に乗せて、旦那と一緒に送って行きました。バイバイのぎゅーをするとなかなかはなれず、先生が連れて行こうとしましたが、ママが病院に行くというのが頭から離れないのか、なかなかはなれません。旦那が私が今日手術だからと伝えると、そうかわかったという感じで心得てくれて、それでも私はもう行かないといけないから、といって離して来ました。がんばってくるねといって。たぶん今日の夜会えるし、今日帰れなくても明日には帰ってくるからね。そういうとバイバイしていきました。こどもに我慢させるのが一番つらいなー。でもかーちゃんが元気になる第一歩なんだ。がんばってくるよ。

そして家に戻ると、10時までにできることをしようと、洗濯を一回回し、消毒ジェルを使いシャワー。なるべく部屋を片付けようとは思うものの、なんだか片付かない。まあ実家の母親が、やり残したことがあるほうがいい(麻酔から覚めるかどうかさまよってるときにやり残したことがあると目が覚めやすい?!)っていってたし、適当に散らかしておこう(笑)。どうせ日帰りだ。とりあえずシャワーと洗濯だけは干そう。

そして10時。バス停まで10分くらい歩いて、大学病院までバスに乗って、大学病院から総合病院行きのバスに乗る。その間約10分待ち時間がある。でもそのバス停が見つからない。バスの時刻表を印刷してきてあって、そこに書いてある説明のとおりにバス停を探すのだけど見つからない。そうこうするうちにバスの時間が来てしまった。そしてバスが目の前を通り過ぎるー。どっからきたのー?大学病院の側からぐるりと回ってきたみたいだけど、時刻表にはその反対側から出るって書いてるのに! そこにいってみるものの次のバスは30分後。そしてそのバスでは15分の遅刻! 病院に電話してみると、名前を聞かれ、「えーあなたの名前は今日のラパロのリストにはないけれどー、でも時間は遅れても大丈夫、ドクターには言っておくからゆっくり次のバスでおいでー」ってリストにないってどういうこと?!でもとりあえず病院まで行ってみたら、受け付けてもらえた。ああ、朝シャワーしたのにどっと汗かいちゃったよ!!

入院受付してくれたナースが黒人のなまりの強い人で、最初慣れるまで大変でした。逆に英語しゃべれる?通訳予約してないわよ?とか言われて、別に通訳はいりません!といっておきました。先週オードリーと一緒にうめていった冊子をもう一回確認していって、アレルギーの確認や(私は薬や食べ物アレルギーがある) 、体内に金属が入っていないか(私は外反母趾の手術でボルトが右足に入っている)、口の中に入歯等がないか(私の前歯4本は差し歯ではずれないー麻酔をかけるときに口に人工呼吸器を入れるので口に何か外れるものが入っているとはずすんじゃないかなー。)、などいろんな項目がある。ラパロは最終が6時まであるそうで、ひょっとしたら帰りが8時過ぎるらしい。そんなに遅くなったりするんだ。8時過ぎたら、こどもが眠くなっちゃうだろうな。結局私のラパロが何時になるのかはその「時」が来ないとわからないのだそうだ。今日の予定ではこどもは3時に学校が終わり、チャイルドマインダーがこどもをむかえにいき6時か7時まで見ていてくれ、それくらいまでに旦那がこどもをむかえに行く。という段取りになっていた。6時か7時ごろにむかえに行きタクシーで病院に私をむかえに来てくれるかな、と思ってたんだけど、なんとこの病棟は8時にしまってしまうらしい。8時を過ぎると違う病棟に移されるらしい。

この病棟は11病棟で、主にラパロ待ちの人がいる。私を含めて7人の患者がいた。そのうちの2人は違うドクターが執刀したらしく私のドクターはそのうちの5人を担当していたらしい。チームリーダーというナースが私をリクライニングチェアーのところに連れて行く。ベッドではなくリクライニングチェアー。大部屋らしくカーテンで仕切られて、そこで服を全部脱いで手術着に着替える。下着は紙の使い捨てパンツ。手術着は後ろで紐を縛るので、ナースが手伝ってくれました。そして椅子に座ってまってると、飛行機に乗るときに履くような圧がかかってる靴下(つま先は開いてる)をはかしてもらう。血栓予防のためです。サイズがいろいろ合って、足首の大きさでサイズを決める。私のは一番小さいサイズだったけど、それでも大きい感じで、あんまり圧が感じられませんでした(いいのかな)。イギリスサイズは何でも大きい。

そうそう、入院患者になると腕に名前や病院番号などを書いたリストバンドをはめられるけど、あれ、赤いバンドだとアレルギーのある人用なんだそうです。私は薬や食べ物にアレルギーがあるので赤い色でした。普通は何色なのかしら?

その後執刀医の先生が回ってきてちょっとずつ話をしてきてました。私のところに来たとき、どう元気?といわれ、何か書類を見ていて、あ、また後で来るからといってどこかへいってしまいじゃあ後で質問をしようと待ち構えていました。その後来たのはレジストラー(執刀医の先生のチームの一人)が同意書、これこれこういう危険(感染症とか万が一の時は回復になるなどのリスク)がありますが、同意しますか?という書類を持ってきて、サインして、それっきり、執刀医の先生は現れませんでした。

だって最初の人が呼ばれていったし、そしたらもう先生は手術室に入ったって事だし、そしたらもう来ないよね。もう!聞きたいこともあったのにな。でもここまで来たら信じるしかないのだ。私の担当の先生はプロフェッサーで、ドクターよりも上でよかったねって言ってくれる人もいて、この先生にかけてみよう、この先生が私の痛みの原因を見つけられないのなら、誰が見つけられるのだ!と思うことにしようと決めたんだから。病は気からって言うじゃないか(笑)

後はとくにすることもなく自分の番が来るのを待つだけ。旦那とテキストメッセージを何度かわす(実況中継)。30分間返事がないと手術に入ったとみなして病棟に電話するといわれて、あわてて返事をする(笑)。私はテキストメッセージ、めちゃくちゃ打つのが遅いのだ。そして私のへっぽこ携帯、家を出る前は充電がいっぱいだったのに、だんだん電池が少なくなってきた。こんなにたくさん一日にテキストメッセージを打ったことないし(笑)。それにしても旦那、仕事中じゃないの?ある時電話してみたら、仕事は昼休みで早退しただと!手につかないからだって!だって私まだまだ手術のみこみがたってないのに?!たーのーむーよー。これから病院に向かうって。だってここ男子禁制だから来ても会えないし。万が一私の手術が遅くなったら誰がこどもをむかえに行くんだよ。職場か家のほうで待機していてくれよ!という私の心の叫びもむなしく、私の携帯の電池はすぐ充電してくださいというメッセージが出て来る。もう切らないと手術終了の電話をかける電池がなくなるのであわてて切る。

4時近くなってもまだ順番が来ないし、そういえば麻酔医がまだ来てない。麻酔医がこないってことは私の番はまだまだってこと。きっと最後かな。レジストラーがきた時リストがちらりと見えて、私の名前が最後にあった。きっとキャンセル待ちの代わりだったからだと思うんだけど。ナースのチームリーダーの人が、手術の順番は執刀医が回ってから、その後にチームと相談して決めるのでナースにもわからないといっていた。なので私が最後ともわからないけど、でもここまで来たら最後っぽい。あと3人残っている。

3人目が呼ばれた時、旦那に電話する。今すぐ家に帰ってこどもをむかえに行って、家でまっていて。手術が終わったらすぐ電話するから。後二人だけど、まだ麻酔医が来ないから私がきっと一番最後だと思う。携帯の電池がもうないから、長く話せない。と切羽詰った声で話すと、わわわかった。といって帰って行った(笑)。スマン旦那様。私は大丈夫だから。こどもをむかえに行ってーあげてー。病院からとんぼ返りさせてゴメン。でもまさかまだ呼んでもいないのに病院に来るとは・・・。

そして4人目が呼ばれていったころ、やっと麻酔医登場。私の名前を見て、あれ、日本人?「ワタシノーナマエハーダニエルデース」とたどたどしい日本語で!日本語を話す麻酔医!こどもの頃日本人のハーフの友達がいたんだそうで、日本語を教えてもらったんだそうです。すごいさばさばしたドラマに出てきそうな麻酔医でした(笑)。私が、2011年歯医者で局所麻酔治療後倒れて、救急車の世話になった、でもその何ヶ月か後、アドレナリン抜きの局所麻酔で歯医者の治療を続けた。そして2011年アドレナリン抜きの全身麻酔でラパロをしてなんともなく、2012年、アドレナリン抜きの局所麻酔で外反母趾の手術をしてなんともなかったので、アドレナリン抜きの全身麻酔ってできますかー?と聞いてみたら、「アドレナリン抜きの全身麻酔なんてないのよね」といいじゃあこの前のラパロで使った麻酔は何だったんだろう、と聞くと、「まあそのときのカルテも見てみるけど、アドレナリンは心停止とかしたときに生き返らせるために(?)打つ薬で、麻酔にいれる物ではないんだよね。もしかしたら薬の名前の聞き間違いじゃないかな?」と驚きの言葉。まあ私の聴き間違いならいいんだけど、2011年のラパロのときの麻酔医はアドレナリン抜きの麻酔でお願いといった私に「わかった」といったのだ。

ダニエルは私が2006年のラパロ後にかなりの吐き気を感じたことに、吐き気止めを2ついれてくれるといっていた。ECG異常の話もじっくりと聞かせ聞いてくれ、ダニエルはすっかり満足したようで、私のラパロもキャンセルされることもなく執行されるようです(笑)。

そして電話がかかってくる。この電話がいやだ。初めわからなかったんだけど、ナースカウンターにかかってくる電話。次はだれだれを手術室に、って言う電話がかかってくる。そして、チームリーダーがその人のところへカルテをもってそっと行き、さあ行きますよ、という。まるで刑の執行のよう(笑)。まさにその「時」がこないとわからない。私はそれを最後まで見届けたのです・・・。

そしてとうとう私宛の電話もかかってきました。緊張のあまりトイレに行きましたが、でるものもでません(笑)。チームリーダーがカルテの束を持ってきて、確認をはじめます。名前、生年月日の復唱。病院番号の確認。同意書にサインをしましたか?これはあなたのサインですね。アレルギーの確認。などなど。

そして枕を持って(笑)、手術室へ行きます。歩いていくのです。もう戻ってきて、回復にいそしんでいる(紅茶やビスケットを楽しんでいる人たち!)を見ながら、みんな微笑んでくれています。がんばってねと手を振ってくれる人もいました。とうとう私の番。3回目だけど、やっぱ緊張するね。

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