2012年3月30日金曜日

3/30

足をつけて松葉杖で歩けるようになってきたものの、右足の筋肉がまだ衰えていっています。ふっとい足だったのに、骨がういてきた・・・。ひえぇ~


今週は暖かい日々で、外でのリハビリがはかどりました。天気がいいと足の調子もよく、やる気も出るね。

2012年3月29日木曜日

3/29手術後3週間+4日、初めて松葉杖つかわずに(ホンノちょっぴり・笑)歩けた!

おととい絆創膏を取り、昨日お風呂で3週間ぶりに洗った足です。縫い目がグロイです。
まだ腫れてるー。足首も腫れてます。家にあるゆるい靴下を履いていますが、足首の腫れのせいで靴下の後が残ってます(泣)。

ニコラに絆創膏を取ったら、傷口に保湿剤を縫って、マッサージするように言われてたので、保湿剤をおそるおそる塗り、マッサージというかそーっとなでています。そして、親指を手でぎゅーっと曲げるように言われてるのだけど、こわくてちょっとしか曲げられません。曲げないと親指が固まっちゃうので困るけど、まあちょっとづつやっていきます。

松葉杖でだいぶ体重をかけて歩けるようになったので、松葉杖を片方にしたりして歩いたり、そしてついに松葉杖を使わずに歩けました。すぐによろっとなっちゃうし、すごくビッコをひいてるし、ヘロヘロだったけど、まあ最初はこんなもんでしょう。足の筋肉がつけばもう少し上手に歩けると思うんだけど。庭をぐるぐるしてるとすぐに疲れます。

だいぶ足を下ろしていても腫れるのが遅くなってきました。ご飯中はほとんど足をおろしていられます。夕方になると腫れるのはまだ変わりませんが。腫れてくると足がしびれてきます。

2012年3月27日火曜日

3/27手術後3週間+1日、靴下を履いてみると

靴下を履いてみると右足の外反母趾が改善しているのがよくわかり、左足のでっぱりが目立ちます。まだ腫れていて、履ける靴下(しめつけのないゆるーい靴下)が限られています。


ちょっとばかりひいてきたかな?すこーししわが見えてきた()


2012年3月25日日曜日

3/25ちょっと進歩?

今日もいい天気です。そして今日からイギリスはサマータイムが始まります。今日は時計の針が一時間すすむので、23時間しかありません。オフィシャル的には日曜日の午前1時が2時になるそうです。今日は1時間短いだけで、どうも何か調子が狂います。お昼ごはんもちょっと遅め。旦那がが掃除機を掛けてくれてる間、私は外で日光浴(ビタミンD補給中)をしつつ、こどもを見ていました。外でおやつを食べたりして、それくらい暖かかったんです。

おやつの後、週末はなかなかできない自主リハビリ。足首をマッサージして、曲がらなかった足首を小指側に足の裏から押してみる。自分で押すと曲がるんだけど手を放すと戻ってしまう。それが今日はちょっとキープできた。足を投げ出して座るとピクリともしなかった足首が、少し持ち上がった。火曜日までに動かなかったら、GPに行かないといけないと言い聞かせたからか()、暇があればマッサージをしたり、テレビを見ながらストレッチが効いてきたのか、少し進歩が見えました。

調子に乗って、松葉杖をつきつつも右足をついて、歩く練習。昨日までより少し体重を乗せることができました。このままうまくいけばGPに行かなくてもいいかも()。がんばれ右足。
火曜日にニコラのところで足をついて歩く練習をしたときすごくこわかった。ハイジに出て来るクララが立った時はこんな感じだったのかしら?()。足ががくがくして、よろよろでした。今日は進歩が見られて、リハビリのモチベーションも上がったかな。夕方になると足は腫れるものだと学習したので、おとなしく松葉杖で右足を上げてます。リハビリは夕方前まで~。

2012年3月24日土曜日

3/24初めての(病院以外の)外出

去年の11月の婦人科のラパロ手術の後、執刀医から婦人科系の問題は見つからなかったのに、痛みがひどいと言うことでペルビックペインクリニックに予約を入れてもらえることになっていた。私のように問題はないのに痛みのある女の人は多いらしくそのクリニックの予約は68週間待ちだそうです。1月の終わりになっても予約が来ないので、外反母趾の手術の予定もあったことだし、その執刀医の秘書に電話したところ、かなりの予約待ちらしく私の番はまだ先だという。足の手術があるから、できたらその前か、手術の後ならある程度動けるようになっているだろう4月半ば以降にしてほしいと言ったら、その日中に予約を入れてみるといわれた。そしてその予約の手紙が来たのたけど、3/26に予約が入っている。人の話きいてんの?って感じです。さすがNHS

足の手術の前に4月半ばにかえてと連絡したのだけど、ちっとも連絡がないので、木曜日に電話したら、3/26のままになってますーと言われ、あきれました。これをキャンセルするとかなりあとになるらしく、どうしても来れない?と言われる始末。

バス停まで松葉杖でいけないかな?それが無理なら、タクシーで行くか?一日考えますといい、いけそうになければ金曜日に電話することにした。3/26はもうてっきり予約が変更されていると思っていたので友達が家に来てお昼を一緒に食べようと言う計画だったのに。友達に電話して、病院にいくことになったというと、連れて行ってあげようか?と言ってくれたので、バスで行けそうになければ、お願いすることにした。

旦那はバスで行くことに大反対。バス停までは普通に歩いて15分くらい。30分くらいかかっても松葉杖で行けそうなんだけどなーと思い、土曜日の朝、実験してみることにした。天気もよくて、松葉杖で病院以外の初めての外出。結果はバス停まで休み休み40分弱。松葉杖を支える手のひらが痛くて、まっかっかになってしまった。なのでやっぱり友達にお昼ごはんと引き換えにお願いすることに。申し訳ないけど、お昼ごはんを一緒に食べれてそれはそれで楽しいかも。

バス停まで行った帰りに公園にある図書館により、一休み。手のひらさえ痛くなければバス停まで行けそうなんだけどなー。家に帰って、かなり体力を消耗していることに気づきました。足がちょっと悪いだけで、あまり動かないから、筋肉が落ちたのは足だけだと思ったら、体全体満遍なく筋力って落ちてるみたい・・・。危険を感じ、上半身はストレッチと言うか、伸びをしてほぐしつつ、足を上げて、腹筋を鍛えはじめました。

問題の足は、足首がだいぶ曲がるようになったのだけど、小指側の足首で動かない腱というか筋があって、どうしても足首を曲げると足が内側にしか曲がっていない。腱を痛めたのかな・・・。ニコラは週末までには松葉杖を使わなくても歩けるようにといっていたけど、どうやら回復の遅いような私は、ニコラから一週間たつ火曜日まで自分に時間をあげることにした。火曜日になっても足首に変化がなければGPへ行こう。まあ一日中腫れてはいるけど、とくに夕方になると腫れがひどいのは仕方ないのだろう。まあ慣れてきたかな。

私は手のひらが痛くて、まあ無理をすると手のひらが痛くなり松葉杖もつけなくなるといけないので、おとなしくしておくことにします。はぁ。

2012年3月22日木曜日

3/22足の腫れ

ねころんで足を上にあげてみると右足がちゃんとまっすぐにならない。足首に力が入らなくて、まっすぐにできないのです。足首強化もっとしなくては。


両足の裏を比べてみると右足がパンパかパンに腫れているのがわかります。ほんとゾウの足みたい。


3/22

昨日の夜は腫れてがっくり来て、コディンを飲んで寝ました。朝4時ごろに足の痛みで目が覚めて、その後なかなか眠れず、朝からぐったりしていました。旦那とこどもが出かけた後、部屋の中をぐるぐる歩いて一人リハビリしたが、23分すると足がだるく重くなったので休憩。2階でネットテレビをだらだら見てました。午前中はそんな感じであっという間に過ぎてしまいました。

お昼ごはんを食べると、外の天気がいいのでどうしても外に行きたくなりました。病院以外外に出ていないし、天気はいいし、でも裏庭に自力で出られるかな?裏庭に行くドアのところには段差があって、ちょっとこわいです。玄関のほうは、椅子がおいてあるので、その椅子に座って、外に足を出してから出られます。

今日はがんばって右足の裏をつけて、少し体重をかけています。まず、家の中だけど、保護靴と同じような高さのサンダルを左足に履き、左右の足の釣り合いが取れるようにしました。そして、家の中に両足で立ち、松葉杖を外に出して、右足を上げて出ました。やったら簡単に出れて、もっと早く出てみたらよかったなーと思いました。ここんとこいい天気の日が多くなってきて、天気がいいのに出られない、と言うのもストレスになってたのかな。

外に出たら太陽が暖かく、遠くから近所の小学校の子達のはしゃぐ声が聞こえたり、鳥がさえずっていたり、地面にはてんとう虫があちこちにいたり。ヒヤシンスがだいぶ咲いていて、チューリップも葉っぱが出てきています。ちっともガーデニングができなかったので、庭はひどいものですが、太陽はウツクシー!

太陽に当たるとビタミンDが吸収できてカルシュウムの吸収を助けてくれるので、骨にもいいはず。気分もよくなって、裏庭をグルグルグルグル・・・。だいぶ気分よく歩けました。まあ今日はこんなもんかな。

その後お風呂にも入って、昨日からの計画の髪も洗い()、すっきりさっぱりした後、足が腫れる前に夜ごはんの下ごしらえもしておきました。下ごしらえと言ってもゆでる野菜を切ったり洗ったり、お米を洗って炊飯器にセットしたり、サラダを作ったりたいしたことはしてませんが、後は味噌汁を作って(今のところはお湯を注ぐだけで勘弁してもらっているのですが・・・)、出来合いの鮭とベーコンのコロッケをオーブンに入れるだけです。

それだけやったら足がだるくなってきたので、休憩。松葉杖で台所仕事はやっぱり大変。帰ってくるまで1時間くらいあるので、足を上げてだらだらしまーす()。あ、今ごはんが炊けました。今日は日本から送ってもらったフリーズドライの鶏の混ぜごはんです。いいにおーい()

2012年3月21日水曜日

おふろ

おふろ
抜糸の時にニコラに足首が固まってることやもうすぐ松葉杖なしで歩けるようにといわれ、ちっとも動かない自分の足にへこんでます。まあ、回復は人それぞれだし私は人よりちょっと遅いほうなのかもしれないし、とは思うものの、痛みや腫れがあるとかなりへこみます。

そのへこんだ気分を一新しようと、今日はお風呂に入ってみましたー。もちろん右足はぬらせないから、浅めにお湯を入れ、バブルバスを入れました。お湯を入れたところで、いったいどうやってお風呂の中に入ったものか考えましたが、トイレのふたを閉めて、そこでひざ立ちになり左足から入りました。そこでおふろの中に座り、右足はお風呂の縁に乗せた、人様には見せられないような格好でした()、ははは。

今まではホットタオルで体を拭いたり、一度だけ我慢できずにシャワーを浴びましたが、片足でシャワーを浴びるのは至難の業でした。髪の毛は旦那がいるときにバスタブを洗面台扱いして、私はバスタブの前に椅子を置き座り、旦那にシャワーを頭の上からかけてもらい、前かがみになって洗っていました。これは腰も痛いし、疲れます・・・。

でもこのお風呂の入り方なら、右足以外はお湯につかれるし、何か気分もよくなってきました。今日は髪の毛は洗いませんでしたが、明日はこの格好で髪の毛も洗ってみようと、前向きになることができました。やっぱフロはイイねー!

泡風呂のあとはやっぱりシャワーで泡を流します。イギリス人はアワアワのままお風呂から出て、バスタオルで拭いておしまいです。ちなみにお皿も同じです。つまり洗剤でアワアワのまま食器かごに入れて、水ですすがず、ふきんで拭いておしまいです。家はディッシュウォッシャーなのですすいでいますが、手洗いの家は今でもすすがないようです。シャワーも座ったまま浴びて無事にバスタオルとゲットし、お風呂を出るときも、トイレのふたによじ登り、出ることができました。

すっきりさっぱりして、いい気分でいましたが、お風呂から出てしばらくすると、足がパンパンに腫れてしまいました。あったまって血の循環がよくなったからなのか、ただ単に夕方になったので、疲れて腫れたのかはわかりませんでしたが・・・。

明日は髪の毛も洗おう・・・。

2012年3月20日火曜日

3/20手術後2週間+1日、抜糸

またまた病院までタクシーで45分かけて抜糸に行ってきました。小指側、親指側の両方で16針くらいあって、ぷちっと糸を切ってぴーっと引っこ抜く、ちくっ、ぴーっと痛いのを16回。痛くて、つ、つかれた~。ニコラもよくがんばったとほめてくれました。小指側に大きな絆創膏を貼ってくれて、ニコラは親指側に貼る絆創膏をとりに違う部屋へ行きました。そのときに、あ、忘れていた!と、カメラで写真を撮ったのですが、手術前夜から洗っていない足、まだ血の乾いたのがついたグロイ足の写真です()

ニコラは後34日たったら、松葉杖を使わないでもあるけるように、来週からは親指を手で曲げる運動をするように、その後のエクササイズのプランを書いた紙をくれました。ニコラプランは厳しそうですが、早く回復するには痛くても動かすことが大切らしいです。

家に帰ってからの写真。右ひざ下が左に比べて細いのがわかりますか?レギンズのしわが多いし。レギンズを脱ぐと、右側は骨ばってて、脂肪がたれーんと下がっていて、見苦しいです。右足首もまだ腫れていて、90度曲がりません。


足の裏、久しぶりに見たな。パンパンに腫れていて、ゾウの足のよう・・・。


ところどころにマーカーのあとがあるのはそこに麻酔を打ったというしるしです。手術時につけた消毒液のヨーチン色で足が黄色いです。




やっぱり外出は疲れるのか今夜の腫れようといったらすごかったです。食後はコディンを飲んで、足を冷やしつつ早めに寝ました。まあ朝になると楽になるんですが。

2012年3月15日木曜日

手術後10日目

手術後10日くらいで、右足のひざから下の筋肉がかなり落ちていることに気づきました。両足を比べると明らかに右足のひざしたが細い。ぱっとみですぐわかるくらいです。足ぐるぐる強化習慣につきがんばって足首は動かそうとしますが、なかなか痛みとの戦いです。

外反母趾の骨を削ったあたりがきゅううぅっときつく感じてくるときがあって、この感じは外反母趾で骨が出てるのにほっそい靴をはいた時の窮屈さに似ています。これは腫れているんだろうか。このときにアイスノンの細いやつをぐるっと足首に巻いて、足首を冷やして足を上げていると、まあ楽になってきます。でもこの窮屈さが夕方以降になって来ると、足を下ろしたらさああああっと血が降りてくるのがわかります()

2012年3月14日水曜日

足首強化週間


ニコラに足首を回すよう言われ、まずあげることからはじめようと、思い出しては足首を上げるよう念じています。昨日よりは大きく上がるようになりました。ちょっとづつでもあげていかないと、かかとをつけて歩けるようになるのに時間もかかるし、回復するのが遅れてしまうから、必死です。

かかとを持って足首を自分で曲げて、それをキープするのや、自分で念じてあげるのです。やりすぎると痛むので、まあほどほどに。来週ニコラにあうまでにぐるぐる回るようになってるといいけど。

だいぶ腫れが引いたような気がするので、夜寝るときに足を上げるのはやめ、足の裏にクッションが当たるようにして足首を曲げ気味にして寝ています。そしたら足の付け根の痛いのがだいぶ楽になりました。

2012年3月13日火曜日

3/13手術後1週間+1日、包帯交換に病院へ

今日は包帯を取替えに病院へ行きます。もちろん運転はできないのでタクシーで。
病院は家からタクシーで45分もかかるところにあります。そこまで行き、したことといえば包帯を替えてもらっただけ。そんなの近くのGP(かかりつけ医)でやってほしいのに。手術した後に聞いてみたら、管轄が違うから無理といわれました。NHSで手術代はただだったけど、タクシー代が片道40ポンドもかかるんです()。タダヨリコワイモノハナイ。

待合室で待ってると、同じような保護靴をはいた患者さんたちが来ました。一人はおばあちゃんで車椅子に乗っており、もう一人は私と同じくらいの年齢かもう少し上、この人はちょっと引きずっていたけど松葉杖もなしで歩いていました。私より先に呼ばれ、戻ってきたときには保護靴ではなく普通の運動靴を履いていました。いいなぁ。

包帯を替えてくれたのは麻酔を打ってくれたニコラという女性です。ニコラに足首が上がらないのと言うと、頭で上がるように強く念じてみて、と言われがんばってあげてみるとぴくっっと上がります。これをがんばって続けないと回復が遅れてしまうようです。足首を上げる筋肉が使われてなかったので、弱っているらしいです。今日は包帯を替えてもらっただけ。1週間ぶりの素足を見たけれど、やっぱり人の足のようです。あのでっぱりがない足が自分のものだとはなかなか信じられません。写真を撮ったけど、ちょっと縫い目や血が乾いた後がグロイです。










足首が腫れていてゾウの足みたい(笑)


来週は抜糸に行きます、またタクシーで往復です()


大きな包帯が取れて、足が軽くなりました。

2012年3月7日水曜日

手術後4日目

4日目になるとだいぶ痛みも取れました。薬を飲み続けているからかもしれないけど、だいぶ楽になりました。こどもと一緒に夜8時に寝ているので、朝45時に起きてしまうのはまあ仕方ないかな。

手術の痕の痛みはだいぶ軽減されたけど、その代わり、2階でははいはいで移動の私、いつも使わない肩や、モモの筋肉が痛くなってきました。寝返りも打てないので、おしりや腰も痛いかな。できる範囲でストレッチをするけど、これはまあ仕方ないのか。

足首があまり曲がらなくて、ずーっと足首が伸びてる状態が続き、手術後3日目からは足首を回すストレッチをせよと指示があったのだけど、ぐるぐるは回せません。そろそろと、左右には振れるけど、足首を寝転んだ状態で上にあげることができません。その成果、足首が痛くて、寝るときは足を上げた上に足の裏にクッションを上げて、足首を曲げた状態にしています。

そうそう、右足を上げていないと腫れるので、クッションや座布団を使って、モモから足を上げて寝ているのだけど、そうすると骨盤がずれたようで、足の付け根が痛い。

松葉杖で歩く時は足をひざから曲げて床に付かないようにしているので、足の付け根が痛いので大変。階段はこどもが1歳のころにはいはいでよじ登るようにしていたのをまねしてのぼっています。降りる時はおしりで。

あと何週間かすればかかとをついて歩けるようなのでちょっと楽にはなるかな。

夜はやっぱり起きてうつらうつら、その後横になって寝るを何度か繰り返すものの、夜中にコディンはどこだーと中毒患者(やっぱ麻薬)のようになることもなく、痛みをコントロールすることができました。すきっ腹に飲まないといけない抗生物質を何度かのみ忘れた。

2012年3月6日火曜日

手術後3日目 薬でおなかいっぱい

朝が来た。痛くて痛み止めをの最短間隔で飲みつつ、眠れない夜をすごしたけれど、とりあえず起きて朝ご飯を食べて、薬を飲みたい。でもなんだか吐き気がする。朝ご飯はちょっと後にしてもらい、胃を保護するRanatidineをもう一個飲んでみる。けど、その後吐き気が襲ってきたので、はいはいでトイレへ。ちょっと吐いてしまう。やっぱりコディンが強すぎたか?吐いてしまえば楽になったけど、あんまり朝ごはんの気分じゃない。

旦那が出かける前にがタッパーにパンとぶどうを入れていつでも好きなときに食べれるようにしていってくれた。もう一寝むりしたら、楽になったので、パンとぶどうをゆっくり食べた。そしてちょっとしたら、また吐き気が襲ってきたので、はいはいでトイレにダッシュ。間一髪でした()。朝ごはんは出ちゃったけどすっきりしました。

その後は育児書にもあったように(笑)、吐いた後は水をちょっとづつ飲む、しばらくは絶食を守り、3時間たってもだいじょうぶそうだったので、旦那に聞かれたランチのリクエストは鶏雑炊をお願いしました。おいしかった~。梅干とのりもほしいなぁといったら、梅干を4個!()、お皿に乗っけてきてくれました。ちなみに私はまだ2階の布団の上でご飯食べてます。

その後は気をつけて薬を飲むようにし、まあ痛みもだいぶ引きかけてきたので、胃の調子はばっちりです。

まあ夜寝る前は強いCo-codamolを飲み、昼間は食後に弱いCo-codamolを飲むといろいろ考えて飲んでます。

2012年3月5日月曜日

手術2後日目

夜中に痛くて何度も目が覚め、Co-codamol4時間は間空けないといけないのに、3時間くらいで痛みが来る。お薬タイムがくるのが待ち遠しく、4時間きっちりでCo-codamolをのむ。何度も起きて、寝不足。

GPと電話して、Co-codamolの強い薬処方を出してもらうことにした。今あるCo-codamolはコディンが15mgだけど強いのは30mg入っている。これを最高2錠まで14回飲めます。2日目は昨日より痛くて、Co-codamolを飲み、Arcoxia2錠まで飲めると言われ、112回まで増やし、抗生物質も一日4回、ブスコパンも飲み、薬でおなかいっぱい。すきっ腹に飲む時はRanatidineという胃の粘膜を保護する薬も飲んでます。

痛みは親指側が痛んだり、小指側が痛んだり、寝返りを打てないので、背中も痛い。今日明日はなるべく動かず、足を上げて、寝ているようにと、外反母趾手術の冊子に書いてある。ただまったく動かないと血栓症にもなりかねないので、手術した足の足首を左右に動かしたりはせよ、とあったので、してみたけどあんまり動かない。とりあえず、眠ったり、本を読んだり、ネットでテレビを見たり、して一日を過ごす。

Co-Codamolの強いのがきたので夜ごはん後から、飲み始めました。もう薬が多すぎていつ何を飲んだかわからなくなってきたので、何時に何を飲んだか書いておくことにしました。暇だしね。

3/5右足の外反母趾と内反小趾手術

病院には815分集合。「集合」というのは、一日に何人もの手術をするのだけど、患者は朝一で集合し、ベッドで自分の順番が来るのを待っているのです。これは私が6年前と去年違う病院でラパロスコピーをしたときもそうでした。

私は一番でした。まず、名前や生年月日の確認、血圧を計ったり、アレルギーの確認。私はアドレナリン入りの麻酔で歯医者でぶっ倒れたことを話していたので、アドレナリンが入っていなければだいじょうぶだったということを再び伝えました。去年のラパロスコピーでひどく感染してしまったことも。

私が一番目だったからか、麻酔の注射をすぐ打たれました。局所麻酔だから足に打つんだろうな、とは思っていたけど、あんなに痛いのを何本も打つとは・・・。麻酔医が麻酔の前に、印をたくさんつけていました。赤ちゃんの心音を聞く機械の小さいのみたいな感じの機械で、血管の位置を調べて印を打っていました。注射を打つとき、見ないほうがいいよ、といわれたけど、私は注射針が入っていくのを見たほうがいい派なんです。でも今回はあまりの痛さにそんな余裕はありませんでした。今まで打った注射で一番痛かったかな。それを足首周りに56本打ちました。こんなにたくさん打つなんて言わなかったじゃないですかぁ()、と言ったら、もし先に言っていたら、手術には来ないでしょう、と、まあ確かにそうかな。麻酔を打たれてる間に、執刀医が入ってきて、わぁすごい顔だね、とかいいよったし。痛いんだよ。足の甲に打つ麻酔がこれがまた痛くて、逃げ出したくなるような痛さでした。

看護士さんが、抗生物質をのんでねと、1箱もってきました。最初はカプセル2つで、手術後は食前1時間前に1個ずつ。

しばらくして、麻酔が効いたかどうか確認に来ました。麻酔のかかっていない左足にちょんちょんとピンセットの先を当てて、こういう痛みがあるかどうか、確認するから、こっちを見ないで痛いかどうか教えて、と言われて、痛くないところもあれば痛いところもありました。それが不満だったらしく、麻酔を追加()。でも先の麻酔が効いてきてるので、追加の麻酔は痛くもかゆくもありませんでした。

麻酔を打つ前、トイレに行きたい、と言っておいたのだけど、麻酔を打ってからでもいい?といわれ、まあ注射一本くらいなら我慢できるかな、と思って後でもいい、って言ったんだけど、麻酔にこんなに時間がかかるとは、それに何本もあるとは。手術は40分くらいと言うのでやっぱり手術前に行きたい、歩いていける?と言ったら、車椅子で行くんだよと言われ、そうかもう歩けないのかとちょっとショック。そりゃー麻酔効いてますもんねぇ。

トイレに行って、ベッドに戻って、MP3プレイヤーをもって、手術室へ。920分ごろ。もう逃げられません。手術台に乗って、足を消毒され、血圧計、脈拍計もつけられ、右足だけが出るようなカバーをつけられました。テレビドラマのようだ。私の目の前にはスクリーンがあって足は見えません。血圧計は15分毎に計られるからね。もう音楽かけててもいいよ。と言われました。骨を削る音がつらいので音楽をイヤフォンで聴いてもいいらしいんです。歯医者で虫歯を削るときみたいな感じで、痛みはなくても削る振動や音は聞こえるそうなんです。私はまあとりあえずMP3プレイヤーをつけました。

目が覚めたままの手術は初めてだったので、ドラマで見るライトやボードに書かれていることを読んだり、まあとりあえずすることはないんです。寝かされてるので、上を見ていたら、天窓からいい天気が見えました。空が青いなー。その窓から薄い雲が流れてしまうと何か見えました。

なんだろうとじーっと見てると、手術されてる自分の足が反射して見えていました(ギャー)。はじめのうちは気づかなきゃよかったと後悔したけど、気づいてしまった今、目が離せなくなってしまいました。そのうちがりがりというのこぎりの音が。確かにメタリックな棒が私の足の出っ張ってるところに当たっています。音楽を一番大きくしてもがりがりういーんという音が聞こえるし振動がする。痛みはまったくないのだけど。天窓の反射して写っている自分の足から目が離せない。ひえぇ~っ。

でも痛くないし、テレビの手術シーンを見ているようだ。振動を除けば()。縫ってるところも見えました。そして執刀医が私の右側に移ったときに、看護師さんが、これから小指のほうをするところだよといってくれたけど、うん知ってるよ、見えるもん、とは言わず(言ったらスクリーン掛けられそうで・笑)、とりあえずはいと言っときました。小指の骨もウイーンウイーンがりがり言わせながら、まあそのうち終了。

執刀医が見てみる?と言うので、何が?と思ったけど足だよな、とおもい体を起こしてみると出っ張りのなくなった縫われた足がありました。誰の足?って感じです。まだ感覚もないし、見たことのない足だったから。手術室にカメラ持ってけばよかった。とりあえず、「わぁ、サンキュー」と感嘆の意を見せておきました()

その後包帯でぐるぐる巻きにされて、車椅子でベッドに戻ります。そのときから足をクッションの上に乗せておきます。時間は1010分。50分かかったんだなぁ。しばらくすると紅茶でも飲む?と言われやっぱりイギリスだなーと思いつつ、飲むと言うと、紅茶とビスケットが出てきましたー。手術後の保護靴をあわせてくれたり、着替えたり、松葉杖のやり方を教えてもらったりしていて、職場に出すシックノート(1週間以上仕事を病気などで休む場合にだす、医者からの手紙)をもらい、その後は退院。松葉杖は日本のわきの下に挟んで使うやつではなく、ひじまでのもの。私の身長をきき、cmで言ったのでよくわからんと言われ、フィートではたぶんこれと言ってもってきてくれたのが、大きすぎ、これ以上小さいのがあるかなぁと言われつつも、何とか私のサイズの松葉杖を探し出してきてくれました。松葉杖の使い方を習い、1050分、いつでも帰っていいよとの許可。旦那は11時に来る予定で、とりあえず電話しました。メインの受付のところにいると言うので、タクシーを呼んでもらい、車椅子で、病院を出たのが、1115分くらい。3時間で外反母趾の手術終了。そういえば、手術前の予約のときに3時間くらいだよ、と言われてたので、「手術」が3時間と思っていたのだけど、全部で3時間だったのね。

私のほかにも3人その日に手術みたいでした。私の紅茶とビスケットタイムのとき、2番目の人が車椅子で手術に向かうところで、40代後半か50代位の女の人が不安そうな顔していたけど、私が、チャラヘッチャラでビスケットをかじってるのを見て、看護士さんがほら、だいじょうぶだよ、と言いながら、車椅子を押していきました。

タクシーが来て、家に帰ると12時ごろ。まだ麻酔が効いていて、痛みはなく、削る振動と見てしまった自分の手術シーンのせいで疲れていたけど、後はだいじょうぶ。

手術後の足はこんな感じ。包帯でぐるぐる。ギプスではないですが、結構硬い。寝るときもクッションを足の下にいれなるべく足を上げておきます。寝る部屋は2階。トイレも2階。松葉杖はあるものの、トイレへははいはいで行くほうが簡単でした。
これが保護靴。寝てるときと足を上げて休んでいるとき以外はつけておきます。よく見えませんが、かかとも付いてます。



お昼ごはんを食べて、少しすると足がぴりぴりしてきたので、看護士さんが、そうなったら麻酔が切れてきた合図だから、痛み止めを飲み始めるようにと言っていたので、そのように。

Co-codamolという(痛み止めの薬。コディンと言う麻薬が入っている)とパラセティモル(アセトアミノフェン)と、ArcoxiaというNsaids系の痛み止めを出してもらってありました。Co-codamolは以前飲んだことがあったけど、飲むと心臓がバクバクしてつらかったのだけど、GPがバクバクしてもつらいだけで心臓にはだいじょうぶだよ、と言ってました。まあとりあえずArcoxiaを飲みましたが、これは一日一回一錠だしこれ飲んで痛くなってきたらCo-codamolを飲むことにしよう。先週からおなかが痛い週に入ったので、ブスコパンも2錠飲んでます。とりあえずこの3錠を飲みました。

夜になってくると痛みが強くなってきて、Co-codamolにも手がのびました。幸い心臓バクバクはあまりつらくなく、すぐに寝ました。

2012年3月4日日曜日

2012/3/4 外反母趾の手術前日

こどものころから外反母趾でした。最初に覚えているのは小学校高学年のころ履ける靴を探すのに苦労していたことです。それ以来、自分の足は外反母趾なんだと思っていました。母親も母方の祖母も外反母趾だし、遺伝なんでしょう。大学生になってパンプスがはきたくなっても履けるパンプスは限られており、ハイヒールなんて絶対無理。このパンプスなら履けると思っても、履いてるうちに痛くなってきます。

ローファーやぺったんこの靴、スニーカーやウォーキングシューズなどどんな靴をはいても足が痛くなっていた20代。そしてそのうち、足だけでなくひざや腰も痛くなってきていた30代。靴をはかなくても親指の付け根は痛くて、だんだん歩くのも大変になり、腰痛がひどくなり、我慢の限界を超えそうな産後30代後半。私の足は外反母趾で「若い時にたくさん歩きたい、歩けるであろう」という間ずーっと痛んでました。

20代から30代にかけて、親指と人差し指の間にはさむ外反母趾用のサポーターや、病院で作ってもらった外反母趾用の装具、オーダーメイドで作った高かった靴など、いろいろ散財しましたが、どれもたいした効き目はなく私の外反母趾は進行していきました。

37で妊娠し生まれる前はおなかが重くて足にも腰にも負担がかかり、外反母趾はずんずん進行。こどもは今3歳になり私も41歳。走り回るこどもに外反母趾の痛みに我慢の限界が来てしまいました。

外反母趾用の靴を買い、自分専用のインソールも作ってもらいましたが、はじめはいいかな、と思っていたけど、やっぱり進行していったのか、痛みが出てきました。

そしてとうとう2012年3月5日右足を手術することになりました。今思うともっと早く、せめて30代前半にでもしておいたら、せめて妊娠前にしていたら、と後悔しているけど、今やらなかったら、50代になったらもっと後悔するだろうと、旦那も推してくれたので、こどもが小さくても決心しました。

右足の外反母趾と内反小趾の手術です。手術前の足はこんな感じ。右足を手術します。立ってるときは無理やり親指を人差し指の横にしてますが、親指は人差し指の下に入り込み始めています。

執刀医によると私の足は見た目より痛みがひどいようだといってました。手術後は2週間安静にし、足をあげ冷やしておき、6週間は車の運転ができず、歩き回る仕事の関係で、10週間は仕事を休みます。まあこどもが小さいし、10週間おとなしくしているなんてことは無理でしょうが・・・。
執刀医の先生を信じて手術をすることにします。この写真は手術前日の足です。