2014年8月19日火曜日

8/19ラパロ

4回目のラパロを受けました。まあ4回目といっても前3回は検査だけで治療はしていないので今回が始めての内膜症を切ったり癒着をはがしたりというラパロでした。

プリアセスメント(術前検査)は1週間前にありました。もう4回目なのでだいたいどういう流れで切られていくのか(笑)わかっているつもりでしたが、でもやっぱり全身麻酔はこわくて、検査だけのラパロよりは手術時間も長いだろうし痛みも強いだろうとおもうとやっぱりナーバスになってました。今までの手順とひとつ違ったのが、術前検査の日に消毒ジェルを渡されるのですが、いままではラパロの日の朝か前夜にシャワーをするときにまずその消毒ジェルで洗ってから、自分のシャンプーやせっけんで体を洗うように言われていたのが、今回は2日前から消毒ジェルをつかうように言われたことくらいかな。

術前検査から家に帰るとなんだかだるくてぐったり。ナーバスだからかなと思っていたら、次の日あたりから風邪症状が!手術の前に風邪はヤバイ。キャンセルされるーと思い必死で葛根湯を飲んだりビタミンCを取ったり。月曜日は仕事の予定だったけど、少しでも体を休めようと有給をもらいました。風邪という病気ではあったけどラパロがはいってなければ仕事できそうなくらいには回復していました。なので病欠ではなく有給にしときました。

まあがんばった結果熱もないし咳も時たま「こほん」と出るくらいだし鼻水もたんもない。なのでラパロに望みました。私は11時30分に病院に集合。朝7時までに食事を済ませあとは水を飲んでいいだけで、11時以降は何も口にしてはいけません。絶食はまあ我慢できるけどのどの渇きはねー、片頭痛にもなるし。つらいです。

11時半前に病棟についていろいろ手続きやら、血圧や熱を計って大部屋のリクライニングチェアーをあてがわれました。そこで、手術着に着替えなかは紙パンツと血栓防止用のストッキングだけになります。そこで後は待つのみ・・・。

まず麻酔医が来ました。私はECGがアブノーマルに出るのですが心エコーは健康です、といっておかないとECGでもめられるのでとりあえず言っておきましたが、去年もラパロを同じところでしてるのでまあ話は早くて、OK。その後わたしのあたらしいコンサルタントに会いました。手術当日にコンサルタントに初めて会うって言うのもねー。私の前のコンサルタントは7月の終わりでサバティカという2年間の研究のために病院をはなれることになってしまい、手術を決めてくれたのは前のコンサルタントのレジストラー(チームの一人)なんです。レジストラーはこれから新しいコンサルタントを探してラパロの予約をするねーといっていたのだけど、その分ラパロをのコンサルタントの選択数が増えあっという間にラパロが予約されたのです。今までのコンサルタントだとまあ6ヶ月くらい待ったことでしょう。いいのか悪いのか・・・。

まあ新しいコンサルタントはなんか気のいい女医さんで、親身になってそして正直にはなしてくれました。内膜症や癒着というのは必ずといっていいくらい再発します、と。あああ、わかっているけどドクターから言われると、あうあうあうと涙が出そう。内膜症を切っても早い人だと6ヶ月で再発した人もいるとか。長いと4,5年楽になる人もいたらしい。ろ、ろっかげつですか・・・。それはとりきれてなかったのではないか?と思いましたが・・・。

私は腸にがっつり癒着があるので、目が覚めたときに人工肛門になってる確率はどれくらいあるの?と恐る恐るたずねたら、大丈夫そこまでひどい場合は手をつけずに腸管専門のドクターに再手術をしてもらうので、その確率は限りなく0に近いですといわれました。うーん、再手術?腸管専門のドクター?私の癒着はそこまでひどいのかな。そのコンサルタントも前のラパロから1年弱経って入るのでどれくらい癒着がひどくなっているのか、今回あけてみないことにはわからないそう。まあ痛みもひどくなってるからそうだろうね。

肺気胸疑惑があったのだけど、横隔膜もみてもらえるかと聞いたら、もし病変があっても何もできないけど見るのはルーティンだからみるよ、何かあったら胸部外科のしごとだから紹介状書くねといってました。

仕事はまあ2週間は休むことになると思うといわれ、私は午後2番目(というかそのコンサルタントは今日2人の患者がいる)で大体3時半ごろになると思う、そして手術は1時間半か2時間くらいかなといって、そしてコンサルタントは去っていきました。

あとは時間をつぶすのみ。本を読んだり旦那にメールしたり。その間何人かの患者さんたちがラパロに行って帰って来ました。もう一人のコンサルタントも平行してやっているようです。たぶんあちらの人たちは検査だけのよう。1時間もしないうちにあっという間に帰ってきて、帰って来てすぐリクライニングチェアーにすわりトーストと紅茶を飲んで一服している。ああトーストのいいにおい~。帰ってきて1時間もしないうちにもう家に帰っていく人もいた!すごい体力だなー。私は去年検査だけのラパロだったけどまあ始まりが5時半だったって言うのもあるけど、1泊しました。ぐったりでそんなすぐに帰るなんて無理。

そして4時前になって私の番が来ましたー。旦那に今からだよとメールを送り、枕を持って手術室までナースに連れられて歩きます。結構な距離でした。階段も下りたし。絶飲絶食の身にはちょっとだるい。そして手術室の手前でもう一度名前やアレルギーの確認、私が自分でどういう手術を受けるかわかっているか確認。そしてナースとお別れしていよいよ手術台へ。

中に入ると寒いくらいで、麻酔医の人が執刀医やスタッフが居眠りしないように寒くしてあるのよーとか冗談を言いながら、手術台の上にのった私に毛布をかけてくれました。そして気づいたのですが、コンサルタント、アシスタント、麻酔医、麻酔医のアシスタント、パソコンで何か管理している人すべてアジア(たぶんインド)系。麻酔医の人が私の出身地を聞いてから、インドの映画見たことある?とか聞いてきて、あんまりないというと日本を舞台にしたインド映画があるんだよーといってました。まあこんな状況でなければなんていうタイトル?今度見てみたいとか言えたんだけど、なんせ私は体中にいろんなコードがつけられ始め切られる秒読みって感じだったので余裕がなくてあんまり何もいえませんでした。そして手にカニュラ(薬などを入れるために血管に通す管)がつけられました。まず今まで飲んでいなかったのですいぶん補給の点滴を入れ、もうひとつの管から吐き気止めを入れました。まだ麻酔入ってないから眠くならないんだよーといわれながら、麻酔入れる時は入れるって言ってね、って言おうとしたら、今から痛み止め入れるよといわれ、薬が入ったら、目がぶわっと曇り、目が開けていられなくなり、痛み止めって言ったじゃん、麻酔なの?と聞こうにももう何も言えずそのまま眠りについてしまいました。眠りにつくとき大丈夫?大丈夫?ときかれてたけど、大丈夫じゃないよー。

そして手術が終わり、終わったよー目を開けてーとか言われていたけれどなかなか目が開けれず、意識が遠のいたり、誰かの声が聞こえたり。遠くのほうで、痛いんだと思う、トラマドール入れてという声が聞こえその後でまた眠くなり。その後聞こえたのは31病棟に行くよと言う声。31病棟と言うのは婦人科病棟で一泊する場合その病棟に行く。意識は薄いのにああ今日はやっぱり泊まるのかーと思ったのを覚えている。そしてそのままごろごろベッドで引っ張られていった。

まだ病棟に着く前だと思うけど、旦那とこどものこえがした。まだ私は目が開かなくて意識は朦朧としていた。でも声はなんとなく聞こえた。なんだか心配そうな旦那の声とこどもが「ママー」と呼ぶ声。手に誰かが触れた。そしてまたベッドが動き病棟に着いた。なにかいろいろやっいたけれど、誰かが家族を呼んでと言って旦那とこどもが入ってきた。私はまだ目が開かない。こどもがママーと呼ぶのでがんばって目を開けようとするけれど、うっすらとこどもが着ている赤いTシャツが見えたくらい。答えてあげたいけど声は出ない(酸素マスクがかけられていた)。どれくらい経ったかわからないけど、旦那がもう8時過ぎてるし帰らないとといって帰っていく。私は必死の思いでてを振った。こどもは私の顔を見れてまあ安心したのか元気に帰って言ったらしい(同室のおばさんが次の日に教えてくれた)。

麻酔が効き過ぎたのか、最後のトラマドールのせいか(私はトラマドール(錠剤)を飲むとスゴイ眠くなる、吐き気もする)、私はかなり長く朦朧としていた。ナースが血圧を計りにきたりしていたけど目があかない。結局目が開けれるようになったのは9時半か10時くらいだったと思う。痛み止めはほしいかと効かれたけど、まだ麻酔がたっぷり残ってる感じであまりまだ痛くないとは言ったものの、切れる前に痛み止めを飲み始めておいたほうがいいよと言われたので、パラセティモル(アセトアミノフェン)を2個もらって飲んだ。のどがからからで痛い。そうだった全身麻酔の時は酸素を入れるのでのどが痛いのだった。水を飲むのにコップにストローをさしてもらって飲んだけどまだ麻酔が効いてるのかなかなか口に入らない。ちょっとづつ飲んでは寝る。

その夜はあまり眠れなかった。まあ大部屋(4人部屋)は他の人もいるし寝れないようにできてるのかも。私はできたら眠かったけど寝たり起こされたり、他の人の処置のためなかなか消灯にならず部屋の電気がこうこうとついていたからと言うのもある。目が覚めてみると私は窓際のベッドで、お向かいには50歳くらいの女性、モルヒネの痛み止め点滴をしている(自分でモルヒネを投与できるようになっていてボタンを押すと独特な音がする)。そのとなりには太目のおばさん60は超えてると思う。そして私の隣には髪の毛のないヤセ気味のおばさん。どうやらキーモセラピー(抗がん剤)をつかってるようだ。夜中の2時ごろに60歳のおばさんが急に何か叫びだし、50歳のおばさんの処置をしていたナース二人のうちの一人を自分の娘だと勘違いしたのか、何でこんな時間に病院にいて何をしているのか?と何度も大声でいい何度ナースが私はあなたの娘ではなくてナースで仕事をしているのだと説明しても聞かず。そしてその後はがん治療の患者さんを見てどうして男の人がいるのか?どうして中国人の男の人が部屋にいるのかととんでもないことを言い騒ぎ出した。きっとちょっと痴呆も入っているんではないかと言うような騒ぎ方で、ナースも困っていた。私も眠れなくて困っていた。

こまっていた私にもっと困った状況が起こった。何かお腹の辺りが湿っぽい。術後トイレに立ってないし、まさかもらした?と思ったけど、何かおしっこにしては場所が変。ナースに何か漏れていると言ったら、見てくれて、傷口から液が漏れているわといい処置してくれた。何の液?ときいたら、おなかの中を洗った液だよといっていた。そういえばレジストラーが癒着をはがした後すぐ癒着しないように特殊な液で洗うとか言っていたな。漏れてるって縫い目から漏れたのか?ナースは特に重大なことではないような感じで私のテープをはがし違うコットンで押さえ新しいテープを張ってくれた。そして新しいガウン(手術着)を持ってきてくれてそれに着替えた。トイレに行きたい?と何度か聞かれたがまだいきたくない。

うつらうつらしながら朝が来た。

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